『大統領の料理人』

名画座で鑑賞。


【ストーリー】
南極の基地で働く女性料理人は、かつてミッテラン大統領に家庭料理を振る舞うために雇われた料理人だった。


【見所】
美味しそうな料理!
料理映画は料理が美味しそうにみえなくちゃあ!


【感想】
面白かった。


南極の基地を取材していたオーストラリアのテレビクルーは、そこで料理人として働いている女性オルタンスが、かつてミッテラン大統領の料理人として働いていたことを知り興味を持つが、なかなかインタビューに応じてくれない。という、導入部分から、南極の基地での生活と、エリゼ宮での日々が交互に描かれる。


南極とエリゼ宮のエピソードを交互に描くのは、最低の環境でものびのびと活躍できる南極の基地と、最高の環境でも窮屈なエリゼ宮殿の対比という意味合いがあるのだと思う。オルタンスは持ち前のバイタリティで、エリゼ宮でもミッテラン大統領の信頼を得られるが、男性社会の厨房や、官僚主義によって思うような仕事ができなくなる。一方、南極の基地では、環境も厳しく、食材もおそらくは厳しいのだろうけれど、暖かな人々に囲まれて幸せに生きている。


見所は、なんといっても美味しそうな料理の数々。僕は『タイピスト』を観てから『大統領の料理人』を観たからよかったが、これが逆だったら、お腹が空いて我慢できなかったかもしれない。技巧を凝らした高級レストランのフランス料理というよりも、昔ながらの家庭料理が次々にスクリーンに映し出される。でも、この家庭料理はフランスで一番美味しい家庭料理だ。オルタンスが料理をするときに、いちいち作り方を解説する(という癖があるという設定)も、美味しさを引き立てる魅力に繋がっている。


料理映画なので、やはり料理が美味しそうに見えるだけで、目的の大半を達成できる。そう言う意味で本作は成功していた。また、男性社会の中でベストを尽くす女性の物語としても良かった。主人公のオルタンスは、片田舎から大統領のスタッフに招聘された人なんだけれど、それ以前から一級の料理人としてロブションからも認められた存在であると描かれている。この映画は、実際の人物を描いていて、主人公のオルタンスはダニエル・デルプシュという人らしく、その経歴を観てみると、映画以上に傑物と言える女性のようだ。


地元のフォアグラ料理を再興して「フォアグラの女王」と呼ばれたり、郷土料理の学校を開設したり(これはセリフの中で出てきた)と、普通のおばさんがミッテラン大統領の料理人になったわけではない。そこのところを、どう描くかについて、映画では最後まで揺れ動いているように見えた。ミッテラン大統領の料理人になった時点で、ダニエル・デルプシュは超一流の料理人として認められていて、それをそのまま描くと、エリゼ宮官僚主義や男性社会に行き詰まるオルタンスという役柄に、説得力がなくなってしまう。逆に、もっとフィクション性を強めると、オルタンスが普通のおばさんになってしまい、エリゼ宮で働いていたということに説得力がなくなる。この難しいバランスに始終苦労しているようだった。


印象的だったのは、ミッテラン大統領。ジャン・ドルメッソンの演技がとても良かった。印象的なセリフは、大統領の一族のパーティを開くことをオルタンスに話したときの、「我々」という言葉についてのセリフ。ビジュアル的にミッテラン大統領に似ているかというと、全然似ていないものの、柔和で思慮深そうな態度はとても好感が持てるものだった。良い職場環境と、良いボスがいても、どうにもならないこともある。南極基地でのお別れパーティで、一緒に「蛍の光」を歌うのは、フランスでも日本でも同じなのかと思ったり、印象的な場面は数多い。


【おまけ】
エリゼ宮で料理を出すということが、どういうことなのかについては『大使閣下の料理人』という漫画がとりあえず参考になる。料理はもちろん、ワインの銘柄までに政治的意図を籠めるエリゼ宮での晩餐はまさに「政治」。わざと質の低いワインを出すこともある。その最前線で働く料理長にしてみれば、部外者の女性料理人がプライベートな料理をミッテラン大統領に出すというのは、自分のプライドが許さない一大事なのだろうなぁとは想像できる。


そう言うわけで、単純にエリゼ宮の料理長たちを頑迷な人たちと描いているのは、ちょっと図式として単純すぎないかと感じられた。そこは、もう少し「最初はいけ好かなかったが、お互い認め合う」みたいな展開があってもよかったのでは? 南極基地とエリゼ宮殿の対比という意図があったにしても。

『タイピスト』

名画座で鑑賞。パンフレット、すごいオシャレで買いたかったけれども予算がなく断念。

【ストーリー】
フランスの田舎から秘書に憧れてやってきた女が、タイピングの腕前を見込まれてタイピング大会に挑戦する。


【見所】
スポ根映画なところと、オシャレなビジュアル。
女性が主人公のスポーツものって、鬼コーチと恋仲になるの法則。


【感想】
1950年代のフランスを舞台に、タイプライターのタイピング技術でのしあがっていく女性を描いた映画。今では考えられないことだけれど、タイピングがキャリアウーマンの技術としてもてはやされ、大会の勝者は女性の憧れにもなった……というのは、たぶん脚色もあるだろうけれど、異色のスポーツ映画になっている。タイピングは速さを競うスポーツ。


保険会社を営んでいる男が、秘書の求人を出したところ、そこに田舎から来たひとりの女性(ローズ)が応募する。そのタイピング(一本指)の速さに目を奪われた男は、タイピング大会に出ることを条件に女性を雇うのだった……というのが大まかな内容。で、タイピング大会を特訓の成果もあって勝ち上がり、やがては全国大会、世界大会へと進んでいく……という展開はもろにスポーツ映画の形式に沿ったものだと思う。というか、地方大会から世界大会までを描くスポーツ映画ってなかなかないような気がする。そういう意味で、タイピング選手権という題材は地味でも、スケールはデカい。


映画のビジュアルはとにかくオシャレ。オープニングのムービーからはじまって、クリスマスのダンスパーティ、タイピング大会の音楽のセレクトまで、本当にフランス映画らしく洗練されている。描かれている時代が1950年代なので、そういうトーンで統一しているのだろうけれど。俳優も、コーチ役のロマン・デュリスと、ルイの幼なじみの女性を演じたベレニス・ベジョが良かった。ベレニス・ベジョは『アーティスト』にも出演していたけれども、ちょっと古い時代の自立した女性を演じるとピカイチだ。


映画を見ていて、「これは監督はスポ根ものを熟知しているなぁ」と思ったのは、最終的には「なぜ戦うか」が問われているところだ。主人公のローズはタイピングの才能があることを自覚しているけれども、タイピング選手になることを夢見ているわけではなかった。特訓に耐えるのもコーチとの愛を求めてのことだし、父親とコーチの二人との確執を乗り越えたところで世界一になり、愛を手に入れるという展開は上手いと思った。


ただ、この映画はローズの物語というよりも、コーチ役であるルイの物語のほうに重心があるようと感じた。すると、一番の見せ場であるタイピング大会の場面ではルイは見守ることしか基本できないので、スポーツに勝つという場面で観客が得るカタルシスが弱まってしまう。ローズにこそ、コーチとの関係と、父親との関係の二つのハードルがあるのだから、そちらに重心を置いたほうが、もっと感動できたと思う。タイピング大会については、他の対戦相手の描写や、敗者の悔しがるカットを挿れているところに、丁寧な作りを感じた。


(現代ではあまりない)タイピングに命懸けてる、ということへの説得力については、観ていて十分伝わってきた。あと、特訓シーンの、10本指でのタイピングを徹底するために爪に色違いのマニキュアを塗ったり、ピアノを練習するというタイピングならではの描写がある反面、やっぱりランニングのシーンは外せないのか〜と笑ってしまった。最後、アメリカとフランスの一騎打ちになる(そして勝つ)という展開は、フランス人なら大興奮するはず。そういうスポーツ映画としてのエッセンスが凝縮した作品だった。

『黒執事』

映画館で鑑賞。パンフレットも購入。ちなみに原作は未見。『黒執事』については、セバスチャンは知っている程度。


【ストーリー】
万能の執事を従えた大財閥の御曹司が、謎のミイラ化事件の解決に乗り出す。



【見所】
男性俳優陣の顔面力!
あと、なにげにアクションが良かった。


【感想】
今回は点数をつけます。
60点!


漫画原作の映画で剛力彩芽主演ということで、好んで地雷を踏むつもりで鑑賞した。すると、個人的には『47ローニン』なんかよりもずっと楽しめた。『47ローニン』を以前、60点と採点したけれど、あっちを47点にして、本作を60点にするのが妥当。いろいろと思う部分はあったけれども、基本的に過不足なく楽しむことができた。同じような映画といえば、誰もが『ガッチャマン』を思い浮かべるかもしれないが、あの映画よりも志は断然高い。


まず、映画を観る前にパンフレットを購入するのだけれど、このパンフレットの内容がそこそこ良かったので、「お、今回はちょっと違うかも」という予感があった。なんといっても、(『ガッチャマン』にはあった)監督と製作スタッフのどや顔対談がなかったこと、コラムが一本書かれていたことが大きい。漫画原作のパンフレットとしては、そこそこ形になっている。やっぱり、『黒執事』はファンが鑑賞するものなわけで、パンフレットに中身があると嬉しいのではないか。


監督は『NANA』シリーズを手がけた大谷健太郎と、『アシュラ』を監督したさとうけいいち大谷健太郎がドラマを、さとうけいいちがビジュアルパートを手掛けているらしい。二人のうち、どちらが仕事をしたかについては、さとうけいいちに軍配が挙がる。というか、大谷健太郎の監督・演出はちょっとどうかというくらい酷いし、さらに輪をかけて黒岩勉の脚本も全然ダメ。黒岩勉が脚本に指名されたのは、『謎解きはディナーのあとで』の実績を買われてのことなんだろうけれど、感心した部分はなにもなかった。


とにかく、映画『黒執事』は冒頭のシークエンスがなにもかも酷い。人身売買が行われている倉庫に潜入した清玄(剛力彩芽)が、セバスチャンによって危ういところを助けられる。で、ヤクザ相手の立ち回りで倉庫が炎上するんだけれど、最初に少女たちが木箱に押し込まれるという描写があるのに、助けようとする描写がなにもない。清玄は「西側諸国の女王」の諜報員という役目もあって、単純に正義と言い切れないキャラなんだけれど、少女たちが詰め込まれている木箱が燃えるのを尻目におしゃべりしている2人を観て、これはあかんわー感情移入できんわーという気になった。


基本、伏線は全部モノローグで説明してくれるし、描くのが難しそうな場面は、セバスチャンが「やっときました」ばりに情報を出してくる。また、警察の面々も思わせぶりに登場しておきながら、中盤以降は物語的に機能しないというバカっぷり。さらに、清玄が調査に出ればピンチに陥り、セバスチャンは別に調査なんてせずとも真相に辿り着くだろう、というご都合主義。しかも、万能という割に、最初から最後まで、主人を危機に晒してばかりなんだよね……なにこの脚本仕事しろ。


【気になったところ】
1.なんで清玄は両親を殺されたあとに、背中に東側諸国の焼き印を押されたのか。あれ、若槻を傀儡にするつもりなら、清玄もぶっ殺さないといけなかったよね?
2.物語のキーとなる、イプシロン製薬のミイラ化ドラッグは、別にあれを使わなければならない理由って実はない。普通の毒ガスでいいじゃんという。あと、イプシロン製薬は自分たちが招待したドラッグパーティで死人を出したら、いの一番に怪しまれると思う。
3.人身売買組織のヤクザをぶっ殺して、わざわざ捜査を振り出しに戻した意味が分からない。お持ち帰りして拷問でもして口を割らせれば、簡単に真相に近付けたのでは? あと、予告編にも出ていた「警察の捜査資料を集めろ」ってセリフは最低だと思った。
4.西側諸国の女王が、なにを思ってミイラ化事件を調査しろと命じたのだろう?
5.若槻はなんで明石がセバスチャンと戦っている間に、清玄を撃ち殺さなかったのだろう? 何万人も死ぬ毒ガスが起動しているのに、みんなのんびりしすぎ。
6.リンが殺人マシーンとしての訓練を受けていると、清玄が知らないのはおかしい。


……などなど。そういう撮影側のダメダメさを、演技側の役者陣の頑張りで鑑賞に耐えることのできるレベルに戻しているというのが、この映画の見所だ。特に、男性陣は顔面力のある俳優を揃えて、中身のないストーリーを上手く誤魔化している。伊武雅刀栗原類、志垣太郎、橋本さとし岸谷五朗、そして、特に刑事を演じた安田顕と、若槻の執事を演じた丸山智己が良かった。安田顕は『変態仮面』でニセ変態仮面を演じた人で、スクリーンに顔面が映るほどに不穏な空気が流れる(なにもしないけれど)。丸山智己も、セバスチャンの相手になるだけの説得力がある。水嶋ヒロは、予告編ではキモいキモいと言われていたけれども、他の俳優のアクの強さと比較すると、あの演技で正解だったと思う。


また、剛力彩芽も、男性陣の顔相撲を丁度良い案配に中和していた。演技も監督の演出の酷さほどには、酷い演技でもない。ちゃんと、劇中でもセバスチャンが剛力彩芽に演技指導するシーンがあるし。バカで、劇中の年齢を考えれば20歳は越えているはずのメイド、リンを演じた山本美月も良かった。といっても、その良かった部分のほとんどは、唐突なガン=カタなんだけれど。メガネっ娘のメイドが、メガネが外れた瞬間に殺人マシーンになるところが素晴らしかった。でも、脚本的には、そこに至る過程が頭悪すぎ。


ストーリーは、漫画『黒執事』の設定を元に、『バットマン・ビギンズ』にチャレンジしてみた、という内容になっている。清玄が社長をしているファントム社の、モノレール直結のビルというビジュアルが『バットマン・ビギンズ』のウェイン・エンタープライズだし、両親が謎の組織に殺されたり、陰謀が毒ガスだったり、主人公が館に住んでいたり、社内のナンバー2に裏切られるところなど、共通点が非常に多い。なんで『バットマン・ビギンズ』なのかと言うと、あわよくば3部作を狙っているのかもしれない。


バットマン ビギンズ 特別版 [DVD]

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でも、僕個人は『バットマン・ビギンズ』は好きな映画なので、本作もそこそこ楽しく観ることができた。『ガッチャマン』みたいな安直なパクりじゃないのも好感が持てる。あ、でも安直なパクりといえば、オープニングのタイトルムービーは、露骨に『ミレニアム ドラゴンタトゥーの女』を連想した。あそこで、お坊ちゃんのお尻がヤバい! と思ったけれど、そんなことはなかった。ミステリー要素もなんちゃってな程度だし。ただ、物語はご都合主義となんだかな〜の連続なんだけれども、俳優の顔面力とアクションが楽しめるので、最後まで見終わると不思議な満足感はある。ギリギリ及第点という映画。漫画原作の映画は、最低でもこれくらいのハードルは超えてほしいという見本にもなる。

『大脱出』

映画館で鑑賞。パンフレットを購入。
ネタバレします!



【ストーリー】
刑務所の警備コンサルタントをしている脱獄のプロが、陰謀によって難攻不落の刑務所に投獄。そこから、刑務所仲間の協力を得て、脱獄を目論む。



【見所】
スタローン&シュワちゃんの2大共演!
何気にキャストは豪華だよね。サム・ニールとか、50セントとか、ヴィニー・ジョーンズとか出てるし。


【感想】
80点!


最近、僕はスタローンの映画を立て続けに見ていて、『ロッキー』とか『ロッキー・ザ・ファイナル』とかなんだけれど、スタローンって良い役者だなぁと最近しみじみ思う。過大評価や過小評価の呪縛から逃れて、ようやく等身大のスタローンを観ることができるようになった。そして、自らのキャリアと最近の再評価の波に乗って、コンスタントにアベレージの高い映画を出してきているという印象だ。というわけで、僕の80点という評価は「映画として安心して鑑賞できる」という意味も含まれている。


Podcastの『リアルウォッチメン』と『ムービーウォッチメン』を聴いてから鑑賞したもの良かったかも。僕はネタバレがあまり気にならない(というか、ネタバレだけでもそこそこ満足できる)し、そこである程度のハードルを設定して鑑賞するのだけれど、スタローン主演の映画はそういう鑑賞前の見立てを軽々と越えてくれる。たぶん、誰が見ても、そこそこ満足できるだろうし、テレビの映画で放映されても「あ、ちょっと見ようかな」と思わせる魅力がある。『リアルウォッチメン』で語られていたVHS感という感想を僕も持った。


監督はミカエル・ハフストローム。この人の映画を見たのははじめてだけれど、パンフレットのインタビューなどを読んでみると雇われ監督らしく、ちゃんとスタローンとシュワルツネッガーを魅せる映画作りに徹している。主導権はスタローンにあったとしても、二大アクションスターの、夢の競演をちゃんと成立させただけでも偉いと思った。


映画的に言えば、「スタローンとシュワルツネッガーの競演」という売り文句で、僕たちが思い浮かべるものが、過不足なく描かれているところが良かった。でも、この2人で脱獄ものの映画を作るというのは、最初のコンセプトからしてどうかな〜という気もしないでもない。スタローンもシュワルツネッガーも、男同士の友情は似合うけれども、男を率いるリーダーではないんだよね。シュワルツネッガーはカルフォルニア州知事の経験からリーダー的な役もできるようになったかと、『ラスト・スタンド』なんかを見て思ったけれども今作はそんなこともなかった。シュワルツネッガーは監獄の囚人のボスという役割なのに、手下を顎で動かすようなところがないんだよね。


そもそものコンセプトが、スタローンとシュワルツネッガーの肉体描写にあるわけだから、それも仕方がないのかもしれない。2人とも、得意な見せ場をちゃんと出している。スタローンは痛めつけられるし、シュワルツネッガーはマシンガンを乱射する。この辺りが「よっ!」と言いたくなる部分。対する、監獄の看守長を演じたヴィニー・ジョーンズとか、所長のジム・カヴィーゼルも悪役としてかなり良かった。特に、ジム・カヴィーゼルは肉体派の2人に対するキャラとして、とても印象深かった。スタローンの上司のヴィンセント・ドノフリオも、潔癖症な演技がかなり良かったし。


他に見所としては、やっぱり難攻不落の監獄のギミック。ポスターや予告編でネタバレがばんばんあって、不評なんだけれど、それはそれとして巨大タンカーが刑務所になっているというのは面白かった。舞台にはったりが利いていると、映画全体のルックも数段上がる。しかも、洋上にあるために、逃げるためには船がどこにあるかを知る必要があるという展開は、脱出ものとして新しいかも。看守が仮面を被っていて、人格を隠しているという設定や、それでも観察していると差異があるという話は良かった。


ただ、やっぱり今作の問題点は、脱獄ものとしてそれはどうかという脚本・演出・展開にあると思う。一番気になったのは、所持品検査をしない警備体制! 古典的な名作『アルカトラズの脱出』だって金属探知機をどう潜り抜けるかのスリルがあったし、本作でもセンサーとかで囚人の動きを検知しているのに、そこのスリルは描かないのは不満が残るところだ。あと、一番のネックになっていた、「監獄の位置を割り出す」と「外部と連絡を始めとしてとる」の両方の描き方はもう少し方法があったのでは?


スタローンの仲間の2人が、脱獄にまったく関係しないし、シュワルツネッガーの娘の役割を考えると、あそこは六分儀で脱出するのではなくて、検知器を自作するような展開のほうが熱かったと思う。六分儀の使い方も、あれが出てきたところで「あ、そこでメッカの方向にお祈りしていた描写が生きてくるのだな」と思ったのだけれど、外でお祈りしているし。あれ、(可能性として)昼間だったらどうしたんだろう? イスラム教徒のお祈りの時間ってあったはずだし。「メッカの方向を向いてお祈りしている」「あいつらは方向が分かるのか?」「コンパスを隠し持っていた。これで位置が分かる!」みたいな展開のほうがよかったと思う。


あと、スタローンがコンコンガラスを鳴らすところで、「もしかして、ガラスを共鳴させて割って脱出するのか?」と思ったのだけれど、そんなことはなかったね。別棟で暴動を起こすっていうのも、あまり生かされなかったし。スタローンとシュワルツネッガーが監視下で仲良すぎというのも、大味な感じがして、サスペンス感を目減りさせることになった。そこは、ある程度、割り切って映画にしているはず。とにかく、いろいろなところが惜しいと感じた。


パンフレットは可もなく不可もなく、という内容。もう少し、スタローン&シュワルツネッガーの、記念映画的なお遊び記事があってもよかったのに。


映画は観て損はない。映画館で観ないといけないというほどではないが。

『弱虫ペダル』

32巻まで読了。チャンピオンで唯一読んでいる漫画でもある。


弱虫ペダル 1 (少年チャンピオン・コミックス)

弱虫ペダル 1 (少年チャンピオン・コミックス)


アキバ通いが趣味の小野田坂道が、ひょんなところから自転車ロードレースの世界に飛び込んで、自らの希有な才能を開花させてインターハイを勝ち抜く……という内容。自転車ロードレースを描いた漫画に外れなし、というのは僕の持論なんだけれども、『弱虫ペダル』は過去の作品と比べても熱量が半端なく、僕も読んでいて何度も心が熱くなった。感動できる漫画として万人に薦められる。


ネットの評価で言えば、小野田坂道がチートすぎるという意見があり、それはまあそうかなと思うけれど、これは、今はもう破棄された少年ジャンプの三大テーマ「努力・友情・勝利」を体現するキャラだから、仕方がないと僕は観る。『弱虫ペダル』という漫画は、チャンピオンで連載されているのが不思議なくらい、少年ジャンプ的な漫画だ。そして、巨大部数を誇り、容易に連載を止めることができない少年ジャンプで、「努力」を描くことができなくなった今にあって、それを成立させた希有なスポーツ漫画だと思う。


「努力・友情・勝利」の中で「友情」と「勝利」は描きやすいが、「努力」は描きにくい。なぜなら、長編化する漫画の中では、「努力」が描かれる特訓場面よりも、試合(バトル)場面を長く描く傾向にあるからだ。かつては短い連載期間で完結していたので、練習と試合のバランスがとれていたが、試合が長くなればなるほど努力は埋没してしまう。試合最中での主人公の成長は「努力」よりも「才能」による。努力は試合の前に積むものであり、普通、スポーツの最中で努力することはない。


しかし、自転車ロードレースは「自転車のペダルをこぐ」という描写によって、試合の最中でも努力している姿を描くことができる。ここが、他のスポーツ漫画との最大の違いだ。必死にペダルを回す小野田坂道の姿は、まさしく努力している姿そのものであり、さらに登り坂で微笑むことは「努力を苦としない」ことが小野田坂道の天才性であることを示している。『弱虫ペダル』は32巻にして小野田坂道が高校二年生になるというペースの長編スポーツ漫画であるが、小野田坂道や主要キャラクターの「ペダルをこぐ」という努力によって勝敗が決まるという、少年漫画の王道が維持できている。


また、自転車ロードレースの特徴として、チーム戦であるということも見逃せない。もちろん、これは「友情」を描くことに適している題材ということだ。マラソンは基本的に最初から最後まで一人で走るが、自転車ロードレースではチームで助け合う(引っ張る)ことが、最終的な勝利に繋がる。インターハイ二日目に、田所先輩を小野田坂道が引っ張るという展開があるが、「6人揃ったチームが試合を制す」というロジックと、友情展開の相性の良さに、感動しない読者はいないはず。


そして、最後の「勝利」は言わずもがなだろう。ロードレースという己の限界を極める「努力」の果てに、「勝利」と「敗北」が厳然と分けられる。だからこそ、勝利の尊さが光り輝く。『弱虫ペダル』の魅力は、長編漫画でありながら「努力・友情・勝利」を維持できているのは、自転車ロードレースというスポーツの特異性にある。さらに言えば、長距離のレースであるため、多くのキャラクターに見せ場を作ることができる。ロードレースのスポーツとしての奥深さも漫画向きだ。


物語は、同じく自転車ロードレースを描いた『かもめ☆チャンス』に比べても、かなり荒唐無稽。さすがに小野田坂道の百人抜きや、インターハイのトップリザルトや、御堂筋の存在は現実にはありえないと思うけれども、そこが少年漫画的であるとも言える。全力でペダルをこぐキャラ顔面が、どんどん崩壊していくのは『茄子 アンダルシアの夏』の影響があると思った。絵はかなり荒削りなんだけれども、その荒削りさがレース場面では活きてくる。登場人物が超人的でも、チームプレイを重視しているのはロードレースの描写としても正しい。


小野田坂道のオタクという設定も好きすぎる。ヒメヒメ言ってるときが一番あがるんだよね〜。小野田坂道が二年生になって、一年生を率いる立場になって先輩のあり方に悩むというのは、これまでのスポーツ漫画にはあまりなかった描写のような気がする。文系主人公というのが、まず珍しいわけで。こういうところも、読者の共感を呼びやすいところだと思う。


【気になるところ】
ヒロイン……『弱虫ペダル』のヒロインは真波山岳だろ! というのは、その通りなんだけれど、スポーツ漫画で周辺の女性キャラを活かすのって意外に難しいと感じた。一応、ヒロイン的な位置に寒咲さんがいるのだけれど、最新刊の巻頭を観てみると、名前すら紹介されていない。どうしても女性キャラは見守りキャラになってしまうよね。でも、寒咲さんの見守りエピソードがなくて、委員長の見守りエピソードが結構感動的というのは、ちょっとキャラ的に不憫だなぁと。


家族……家族がそれなりに描かれているのは、小野田坂道、御堂筋の2名だけ。しかも、小野田坂道も父親は描かれないし、御堂筋は母親はすでに死んでしまっている(そして父親は描かれない)。『弱虫ペダル』における「家族」とは、チームのことなのでそれは仕方がないのかも。今泉なんかは、最初は金持ち設定があったと思うのだけれど、その後の展開に活かされていないし。チーム総北は、父親の金城、頼れる兄貴の田所、母親の巻島、三兄弟の1年生という家族構成がしっかりしていたけれど、小野田坂道が2年生にあって「擬似家族構成」がどう変わるかも見所だと思う。


指導者……総北のイタリア人監督って、あれはなにをしているのだろう? という疑問よりも、他のチームも監督がほぼ描かれないことのほうが気になる。これはスポーツ漫画としては、かなり珍しいことのように思う。御堂筋なんか監督がいると描きづらいというのはあるだろうけれど、箱根学園とかは名伯楽的な監督がトップにいて、ストーリーに絡んでもおかしくないのに。一つ思うのは、「疑似家族」的なチームにおいて、総北には金城、箱根学園には福富という父親キャラがいるので、監督という父性が入る余地がなかったのかも。監督が今後フューチャーされるかどうかは、チームの父性のありかたによる。

『アド・アストラ -スキピオとハンニバル-』

第二次ポエニ戦役を描いた漫画。四巻まで読了。


アド・アストラ 1 ―スキピオとハンニバル― (ヤングジャンプコミックス)

アド・アストラ 1 ―スキピオとハンニバル― (ヤングジャンプコミックス)


古代を描いた漫画といえば『ヒストリエ』がまず思い浮かぶ。で、『ヒストリエ』の作者である岩明均は、第二次ポエニ戦役を描いた『ヘウレーカ』という漫画も描いている。こちらは、ハンニバルの戦いが主眼ではなく、アルキメデスの話が主眼だったけれど。で、その延長線上にある漫画であることは確かだと思う。あと、塩野七生の『ローマ人の物語』の人気もあるかと。


物語としては第一次ポエニ戦役の直後からはじまって、ローマに踏みにじられたカルタゴが、ハンニバルの旗の下でリベンジマッチに挑む。この辺りの勝者の傲慢さと、裏返しとなるボコボコにされる描写が、良く描けていると思った。勝者の奢りのようなものがあればあるほど、敗北したときのザマミロ感が増えるなぁ。


ロジック的には『カイジ』の、思考過程が描かれるほうが負ける、というストーリーの作り方が徹底されている。面白いのは、ローマの内部の対立においても、思考過程が描かれるほうが負ける、ということ。4巻末でカンナエの戦いの直前までストーリーが進み、得体の知れないハンニバルが最強に位置しているのだけれど、最終的なローマの反抗を踏まえた描き方をしていると思う。


絵柄は木多康昭の影響が強い。というか、アシスタントとかをしていたのでは? 絵柄もそうだけれど、主要キャラのガイウスのキャラクターの作り方が、木多康昭のギャグキャラを彷彿とさせる。また、ガイウスについては、おそらく『ナポレオン 獅子の時代』などの戦史漫画を踏まえたものになっていると思う。


欠点は、今のところハンニバルの破竹の勢いが続いているが、ローマ側は同じような展開が続いているということ。「ある指揮官がハンニバルをあなどる」「スキピオファビウスが警鐘を鳴らす」「その指揮官がハンニバルに打ち破られる」「反省して、心を改める(もしくは死ぬ)」という流れ。ハンニバルが得体の知れない強者として描かれるがために、ローマ側にバラエティを持たせる必要があると思うのだが、展開的にも人物造形的にもワンパターンにすぎる。


最大の問題は、カンナエの戦い後の第二次ポエニ戦役を、どういうふうに展開させていくかだと思う。今のところ戦争はローマ国内に限定されていて、順を追って説明すれば事足りる。だが、カンナエ以後は地中海全体に広がるわけで、そこにはハンニバルスキピオの関わらない重要な戦いも出てくる。さらに、ハンニバルが得体の知れない男から、得体の知れる男になる(そうなることによって、ローマに敗れる)展開をどうするかも、漫画家の腕の見せ所だ。


まだ、具体的な評価を下すところまではできないけれども、第二次ポエニ戦役の前半のクライマックスである、カンナエの戦いに至る5巻以降が楽しみ。

『覚悟のススメ』


覚悟のススメ 1 (少年チャンピオン・コミックス)

覚悟のススメ 1 (少年チャンピオン・コミックス)


こういう漫画だったとは!
というのが第一感想。


どういう内容なのかは朧気には知っていたけれども、実際に読んでみると、唖然とするほど突き抜けたものになっていて驚いた。作者は『シグルイ』の山口貴由。核戦争と自然破壊で廃墟同然と化した東京で、第二次世界大戦の遺物である強化外骨格を身に付けた少年、葉隠覚悟が、血を分けた兄であり、父を殺し、戦術鬼という怪物を率いる葉隠散と戦う……というのが大まかな筋。


読んで、まず驚いたのは、敵となる戦術鬼のビジュアル。一番最初に登場する破夢子からして陰毛が出ているし、永吉は男性器が露出している。で、主要登場人物はよく脱ぐし、『バイオレンスジャック』の人犬みたいなのまで出てくる。というか、世界観はほぼ『バイオレンスジャック』と言っていいと思う。『バイオレンスジャック』のSM的描写が薄まると『北斗の拳』になって、『バイオレンスジャック』のSM的描写が極まると『覚悟のススメ』になる。


シグルイ』は「体制に蹂躙される個人」というSM的な要素があったが、本作の場合は肉体のSM要素が本当に露骨で、これをチャンピオンで連載した作者も編集部もすごいと思った。チャンピオンは『グラップラー刃牙』で感覚が麻痺していたのだろうか。そして、(世間一般の)三島由紀夫のイメージと仮面ライダー。この三つが混ざり合って、『覚悟のススメ』はできている。仮面ライダーも元々は、ナチスに由来するショッカーの改造人間が、逃亡したという設定だから、変身ヒーローものと第二次世界大戦の相性は良いのかもしれない。


ストーリーは、インフレバトル漫画そのもの。11巻できっぱりと終わったところに価値がある。インフレバトルを打破する方法として、能力バトル漫画が出てきたりと、いろいろとバトル漫画の方法論は変わってきているけれども、「話を描ききったら終わらせる」という真っ当な解決策もあるというわけだ。そして、終わらせることができれば、インフレバトルは今でも通用する。『覚悟のススメ』はその良い見本だと思う。


究極の日本男児である葉隠覚悟は英雄神になり、人類を守るために戦い、性を超越(というか女性化)した葉隠散は大地母神となって、「星義」のために戦う。そういう神話的な物語の構造が、破天荒なビジュアルや設定、セリフ、内容を下支えしている。覚悟が守るべき学校が「逆十字学園」だったり、ヒロインの名前が罪子だったり、散が性転換したキャラクターだったり、掘り下げた解釈ができる漫画だと思う。


個人的には、『覚悟のススメ』にはあったギャグ要素が『シグルイ』にないのは残念だなぁと思った。『シグルイ』は原作付きの漫画なので、ギャグ要素を加えるのが難しかったのかもしれないが。