『大統領の料理人』

名画座で鑑賞。


【ストーリー】
南極の基地で働く女性料理人は、かつてミッテラン大統領に家庭料理を振る舞うために雇われた料理人だった。


【見所】
美味しそうな料理!
料理映画は料理が美味しそうにみえなくちゃあ!


【感想】
面白かった。


南極の基地を取材していたオーストラリアのテレビクルーは、そこで料理人として働いている女性オルタンスが、かつてミッテラン大統領の料理人として働いていたことを知り興味を持つが、なかなかインタビューに応じてくれない。という、導入部分から、南極の基地での生活と、エリゼ宮での日々が交互に描かれる。


南極とエリゼ宮のエピソードを交互に描くのは、最低の環境でものびのびと活躍できる南極の基地と、最高の環境でも窮屈なエリゼ宮殿の対比という意味合いがあるのだと思う。オルタンスは持ち前のバイタリティで、エリゼ宮でもミッテラン大統領の信頼を得られるが、男性社会の厨房や、官僚主義によって思うような仕事ができなくなる。一方、南極の基地では、環境も厳しく、食材もおそらくは厳しいのだろうけれど、暖かな人々に囲まれて幸せに生きている。


見所は、なんといっても美味しそうな料理の数々。僕は『タイピスト』を観てから『大統領の料理人』を観たからよかったが、これが逆だったら、お腹が空いて我慢できなかったかもしれない。技巧を凝らした高級レストランのフランス料理というよりも、昔ながらの家庭料理が次々にスクリーンに映し出される。でも、この家庭料理はフランスで一番美味しい家庭料理だ。オルタンスが料理をするときに、いちいち作り方を解説する(という癖があるという設定)も、美味しさを引き立てる魅力に繋がっている。


料理映画なので、やはり料理が美味しそうに見えるだけで、目的の大半を達成できる。そう言う意味で本作は成功していた。また、男性社会の中でベストを尽くす女性の物語としても良かった。主人公のオルタンスは、片田舎から大統領のスタッフに招聘された人なんだけれど、それ以前から一級の料理人としてロブションからも認められた存在であると描かれている。この映画は、実際の人物を描いていて、主人公のオルタンスはダニエル・デルプシュという人らしく、その経歴を観てみると、映画以上に傑物と言える女性のようだ。


地元のフォアグラ料理を再興して「フォアグラの女王」と呼ばれたり、郷土料理の学校を開設したり(これはセリフの中で出てきた)と、普通のおばさんがミッテラン大統領の料理人になったわけではない。そこのところを、どう描くかについて、映画では最後まで揺れ動いているように見えた。ミッテラン大統領の料理人になった時点で、ダニエル・デルプシュは超一流の料理人として認められていて、それをそのまま描くと、エリゼ宮官僚主義や男性社会に行き詰まるオルタンスという役柄に、説得力がなくなってしまう。逆に、もっとフィクション性を強めると、オルタンスが普通のおばさんになってしまい、エリゼ宮で働いていたということに説得力がなくなる。この難しいバランスに始終苦労しているようだった。


印象的だったのは、ミッテラン大統領。ジャン・ドルメッソンの演技がとても良かった。印象的なセリフは、大統領の一族のパーティを開くことをオルタンスに話したときの、「我々」という言葉についてのセリフ。ビジュアル的にミッテラン大統領に似ているかというと、全然似ていないものの、柔和で思慮深そうな態度はとても好感が持てるものだった。良い職場環境と、良いボスがいても、どうにもならないこともある。南極基地でのお別れパーティで、一緒に「蛍の光」を歌うのは、フランスでも日本でも同じなのかと思ったり、印象的な場面は数多い。


【おまけ】
エリゼ宮で料理を出すということが、どういうことなのかについては『大使閣下の料理人』という漫画がとりあえず参考になる。料理はもちろん、ワインの銘柄までに政治的意図を籠めるエリゼ宮での晩餐はまさに「政治」。わざと質の低いワインを出すこともある。その最前線で働く料理長にしてみれば、部外者の女性料理人がプライベートな料理をミッテラン大統領に出すというのは、自分のプライドが許さない一大事なのだろうなぁとは想像できる。


そう言うわけで、単純にエリゼ宮の料理長たちを頑迷な人たちと描いているのは、ちょっと図式として単純すぎないかと感じられた。そこは、もう少し「最初はいけ好かなかったが、お互い認め合う」みたいな展開があってもよかったのでは? 南極基地とエリゼ宮殿の対比という意図があったにしても。