『日本の歴史 00「日本」とはなにか』
日本史研究(特に中世)における網野善彦氏の業績は、なかなか一朝一夕には語り尽くせないところがあります。僕などは「マルクス史観の最後の徒花」と思ったりもするのですが、「網野史学」という言葉があったりすることからも理解できるように、通史的な歴史観からは一定の距離を置いた歴史研究が彼の特色でした。それは「海から見た日本史」として、古来からの「百姓」という名称が「農民」を意味しないということを明らかにしたり、被差別民や職能民らと天皇権力との結びつきを明らかにしたことからも解ると思います。この本では東アジア全域(さらには環太平洋)と「日本」との結びつき、天皇が支配する「日本国」とは別の「日本」について(西と東の分断、弥生人と縄文人、大和朝廷と蝦夷、天皇と将軍)、稲作を基礎とした国家観の虚実、そして天皇制による日本国の在り方自体が始まりから帝国的であり、帰結として太平洋戦争の敗戦があったと論じています。
さて、網野善彦氏の研究は画期的だったのですが、「日本国」と「天皇」をどう捉えるかについては、さらなる視点が必要だと思います。つまり、「皇国主義史観」の枷から外れた戦後の史学が大きく「マルクス史観」に梶を切るなかで、絶対悪の象徴として位置付けられる「日本国」と「天皇」を、もう一度定義し直す必要があるのではないかと思いました。網野氏の死後、保守が網野史学を取り込もうと四苦八苦しているのは、結局こういうことではないかと。東アジア全域の動的な部分と静的な部分を解き明かし、日本国と天皇の本質とは何かを語るなかで、融和の歴史が語られないかなと思ったりするのだが。
- 作者: 網野善彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2000/10/24
- メディア: 単行本
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