『ジョジョの奇妙な冒険』

 今回、文化庁メディア芸術祭の漫画部門の大賞に『ジョジョリオン』が選ばれた。文化庁といえば、言わずとしれた「クールジャパン」の旗振り役だけれど、メディア芸術祭自体は十年前17年前から開催されている。もちろん、昨今のクールジャパン運動の一翼も担っていて、メディアアート、アニメ、エンターテイメント、漫画の受賞作については、世界各地で展示会が開かれている。


ジョジョリオン』の大賞受賞については、ジョジョリオン単体の評価というよりも、昨今の荒木飛呂彦の個展などに代表される活発な活動や、『ジョジョの奇妙な冒険』の革新的な漫画表現、盛り上がる一般的な評価などを、総合しての受賞であることは間違いないと思う。『ジョジョリオン』には震災後の東北を舞台にしている、というウリもあるだろうけれど、ジョジョを読み慣れていると、荒木飛呂彦がストーリーと震災をどれだけ結び付ける気があるのかは、かなり未知数だ。


 今の荒木飛呂彦は、漫画をアートと位置づけるための作家としては、ほとんど理想的と言っていい場所にいる。以前は、その場所に立っていたのは井上雄彦だったけれども、漫画家として『バガボンド』がぐだぐだになるにつれて、立場的に不安定になった。漫画家はアート方面に手を出しても、本業を疎かにしてはいけないということだろう。その点、荒木飛呂彦はかなり前からアート志向の漫画家だったし、本業も週休2日制で週間連載するという、ちょっと考えられない仕事の鬼であり、さらに彼の現在の画風が西洋絵画を連想させることも、現在のアート路線を勢いづかせる要因になっている。


 最近の荒木飛呂彦を取り巻く状況というのは、『バオー来訪者』や『ジョジョの奇妙な冒険』の1部から読んでいたファンにとっては、喜ばしいと思う以上に、ここまでの漫画家になったか……という感慨のほうが強かったりする。荒木飛呂彦ジョジョは、少年ジャンプの黄金期に連載されていた作品で、そのカルト的な作風であるにもかかわらず、漫画研究や漫画史的な評価がされてこなかった。熱狂的なファンの存在と、漫画家内での高い評価にもかかわらず。


 その理由は色々あるだろうけれど、やはり「完結していない」ということが一番の理由だったと思う。『ジョジョの奇妙な冒険』として完結していないというのは、その作品について語りづらい要因になる。でも、『ゴルゴ13』など、完結していない(未完成のまま終わった作品)は星の数ほどある。もう一つの理由は、『ジョジョの奇妙な冒険』の初期の絵が、『北斗の拳』などの絵によく似ていたからだと思う。今でも、そのイメージで語られる部分があると思う。特に、アンチには。


 漫画研究者による評論本の中で『ジョジョの奇妙な冒険』を取り上げた作品は驚くほど少ない。とは言っても、それは他のジャンプ漫画(四大少年誌)においても同様で、漫画研究というのは手塚治虫辺りのレジェンドか、大友克洋吾妻ひでおなど数人の漫画家、少女漫画やBLについての研究が盛んで、漫画業界のメインストリームである少年マンガについては、研究そのものが停滞している。おそらくは、エンターテイメント全体における研究の遅れと、少年ジャンプの黄金期に確立された「バトル漫画のインフレ」という概念が、漫画を語る上でかなり便利だったからだと思う。


ジョジョの奇妙な冒険』は少年ジャンプの連載作品の中では明らかに得意な位置にあって、人気は高かったけれども掲載順位は低く、しかし単行本の売上は高いという漫画だった。メディアや書籍で取り上げられた契機は、ネット界隈での盛り上がり、特に「ジョジョ立ち」のブームがあった。それもどうかという取り上げられかただったけれども、少年ジャンプからウルトラジャンプに移って、仕事的にも余裕ができたところで、荒木飛呂彦本人がメディアに出るようになって、風向きが変わってきた。ジョジョについては、この「ネットでの盛り上がり」というポイントは外せない。


ジョジョの奇妙な冒険』についての考察や研究は、ネットが先行していて、そこから一般に浸透していくという展開だった。研究や考察については、サイト『メビウス・ラビリンス』のコマ割りの分析が、おそらく『ジョジョの奇妙な冒険』を学術的に研究する嚆矢だった。その後、作品の特質や技法などについては『ユリイカ』の荒木飛呂彦特集で、様々な論者が論じている。


 ネットでの流行が先行していた理由は、「ネタにしやすい」素材だったからだ。ネット上でネタにしやすいというのは、2ちゃんねるの書き込みに使いやすいということであり、それはジョジョの圧倒的なセリフ力によって成り立っていた。漫画が他の漫画をパロディにする、ということは手塚治虫以前からの伝統だったが、ネットの短い文章で漫画のセリフをネタにすることについて、『ジョジョの奇妙な冒険』は質量共に他の追随を許さない。1部から7部まで俯瞰しても、名ゼリフとしてネットで使われる言葉が数多くあるのは特筆すべきことだろう。


 また、『ジョジョの奇妙な冒険』は「能力バトル」という新しいジャンルを生み出した作品でもある。能力バトル漫画というジャンルの明確な定義はないものの、ある程度のフォーマットがジョジョによって作られ、それが他の漫画や小説に波及していった。漫画発で、多方面に波及していったジャンルというのは、実は「能力バトル」がはじめてだった。細分化していくジャンルの中で、他の表現媒体まで影響を与える作品というのは、実際、驚くほど少ない。


 他に思い浮かぶものといえば「擬人化」漫画だが、これも商品の擬人化キャラクターという流れがあったからこその発明であったように思う。ジャンルが細分化するにつれて、「萌え系」や「セカイ系」といったジャンルが登場したが、それが認知されるようになったのはゼロ年代に入ってからだった。そのいずれも起源については漫画ではない。もちろん、「能力バトル」については、荒木飛呂彦が無から考え出したものではなく、先行作品の蓄積があったからだろうが、ジャンルとして認知されるまでに昇華させたのは『ジョジョの奇妙な冒険』の功績である。


 インフレバトル漫画への疑問は『ジョジョの奇妙な冒険』の第四部で、すでに荒木飛呂彦本人によって語られていて、それを打破するための方法として「能力バトル」という概念が作られた。よく言われる『スタンド』について、文化庁メディア芸術祭の選評でも、超能力にビジュアルを与えたことに評価が集中しているものの、ジャンル的な広まりを考えるに「超能力に固有の名前を与えた」ことが革命的だった。超能力に「念力」や「テレパシー」という現象名ではなく、『スタープラチナ』や『キラークイーン』という固有名を与えるというアイデアは、小説やゲーム、映画にも広く応用できる。『ジョジョの奇妙な冒険』が希有なのは、名前を与えることによって、能力という本来目に見えないものを、キャラクター化したところにあるのだ。


 このように、「アート」「ネット」「他の表現媒体」に影響を与え、橋渡しをするという位置に、荒木飛呂彦と『ジョジョの奇妙な冒険』は立っていて、このような作品は漫画史上でもかなり特殊であると言わざるをえない。そして、この立ち位置は、表現として他のハイカルチャーとは一段低いと見なされていた漫画が、ついに他の分野と肩を並べるまでになったという到達点であり、週刊少年ジャンプの黄金時代に長期連載されていたという事実は、日本の漫画文化の豊かさを示している。文化庁メディア芸術祭の大賞受賞も当然だろう。