デザイン小説製作入門

【序文】

(「ドラえもん」を僕たちは「視覚」と「聴覚」でイメージする)


ライトノベルを書くときに重視するべきものは?」
 という質問があった場合、十中八九、
「それはキャラクターだ!」
 という答えが返ってくると思います。魅力的な設定、魅力的な世界観、なによりも魅力的なキャラクター。当然、アニメ化され映画化されているライトノベルを観ると、どれも「キャラが立ったキャラクターが大活躍する」話のようです。なので、ライトノベルの書き方本を読めば、キャラクターの重要さや類型について懇切丁寧に語られています。


 しかし、本当にライトノベルを書くときにキャラクターは重要なのか? という根本的な問い掛けを僕は持っています。僕がまず思ったことは、キャラクターというのは「書く段階」よりもパッケージされてメディアミックスされるなかで出来上がるものではないか、というものでした。なぜなら、
 キャラクターは見えるもの
 という大前提があるからです。なので、「キャラクター」は漫画やアニメやゲームでは重視されますが、小説では重視されようがないと考えました。例えば「涼宮ハルヒ」という文字で想像する視覚イメージは、小説のそれというよりもアニメや挿し絵のそれであると思います。次に「田中花子」という僕が今即興で考えたキャラクターは、日本人女性かな? というくらいにしかイメージできません。
 ここで「描写を積み重ねれば視覚イメージができるはず」という考え方があります。しかし、誰がどう考えても「涼宮ハルヒ」の描写と「田中花子」の描写は、例えば「笑顔」という言葉一つでもイメージに雲泥の差が出ます。「百聞は一見にしかず」ということわざは的確であると言えます。
 なので、僕は小説ではキャラクターは存在しない、という立場だったのですが、最近はちょっと修正を加えています。なぜなら、
 キャラクターは聞こえるもの
 でもあると思ったからです。実際の生活でも、僕らが誰かをイメージする場合、視覚と聴覚の2つが作用します。この聴覚に訴えることでキャラづくりをする、というのは具体的には「一人称」「会話文」の2つで表現することができます。ライトノベルが「キャラクターを重視する」と自己規定するのであれば、挿し絵は必須であるし、挿し絵がない状態(つまり電撃大賞に応募する段階)であれば、地の文は一人称であるべきだし、会話によってキャラクター付けをするしかないと思います。


 しかし、「キャラクターとは何か?」という根本の疑問は残ります。小説にキャラクターはありうる、としたら、そもそもキャラクターとはなにか?という視点がなければ、小説の中で活かすことは難しいように思えます。ですが、小説にはキャラクター論を根本から破壊する「小説は登場人物の成長を書くもの」という前提があります。キャラクターというのは、言葉の意味からして「性質」という意味で、成長によって性質が変容してしまうとキャラクターにはなりません。
 結論から言うと物語に登場する人間(人間的なものは)は「登場人物」と「キャラクター」という2つに分けられます。これを僕は「成長する登場人物と、退場するキャラクター」と名付けました。そして、この考え方がなぜ必要なのか、という説明のために物語の構造についても考察する必要がありそうです。当たり前すぎることですが「魅力的な物語に魅力的なキャラクターは宿る」からです。


 不定期ですが、
【イメージ論】
【キャラクター論】
物語論
 の3点を中心にエンターテイメント(特にライトノベル)の本質を見つめ直すことで、誰でもそれなりのものが自動的に書けるようになればいいかなと思います。
【イメージ論】は、「読み手がイメージしやすい言葉はなにか?」について書きたいと思いますが、あまり踏み込みません。こういう話もあるんだなぁ程度です。
【キャラクター論】は、小説におけるキャラクターの役割、キャラクターの本質、読み手がキャラクターをイメージするのはどの時点か、文章で視覚に訴える裏技、について書いていきたいと思います。ここで一般的なキャラクター論とは180度違う方向で、小説とキャラクターの関係を問い直したいです。
物語論】は、鉄板の物語構造、物語と登場人物の関係、単行本一巻目の特質、(二巻目以降、アニメ化以降の)登場人物のキャラクター化と物語のプログラムピクチャー化、について書いていこうと思います。おそらく、ここが主眼になるはずで、「キャラクターは絵師に任せればいい」という立場から「ライトノベルで重視するべきは展開」であるということを証明していきたいです。


 最後に、これはライトノベルを揶揄するために書くものではない、ということをハッキリさせておきます。むしろ、曖昧模糊としたイメージから本質を探って、効率的、面白い、金になる創作に繋がればいいなと思います。