覚書

「三船の才」といえば藤原公任のことを言う。あるとき、天皇が池に三船を浮かべて「和歌」「漢詩」「管弦」の三つの内、どれかを披露せよと藤原公任に命じた。藤原公任は「和歌」の舟に乗って素晴らしい歌を詠んだが、舟から降りて「漢詩にすりゃあ良かった」と後悔した。当時の歌人の第一人者で、歌を褒めれば人はその文を家宝にし、ダメ出しすれば人は病に伏せたらしい。
古今和歌集』を編纂した紀貫之の評から「六歌仙」が生まれたが、よくよく読んでみると紀貫之はダメだししている。だが、それはまだ良いほうで、六人以外は大和歌の何たるかを知らない門外漢だと書いている。『古今和歌集』の序文にそんなこと書いてよいのか、と思わないでもないけれども、『土佐日記』でも「田舎者は歌を詠むな」と書いているし、性格的にはきっつい人だったのかもしれない。だから土佐なんかに流されたのか。ただ、和歌とは何かを論じる部分は、歌人としての志が感じられて面白い。「心を幹に例えれば、言は心から派生した葉のようなものである」とか。
紀貫之の『古今和歌集』は、その後、正岡子規に否定されてしまう。毀誉褒貶ということか。