『ゲド戦記』

実は、観るのも、感想を書くのも二回目。


ゲド戦記 [DVD]

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ちなみに、映画館で観たときの感想はこちら。こっちの方で、この映画について言いたいことは全部書いています。
http://d.hatena.ne.jp/asaikeniti/20060729#1154168336



一般的な評価で言えば、本当にダメダメだった『ゲド戦記』なのだけれど、僕が思うに「ビジュアルの、僕らが観たいジブリアニメ」の部分が突出していて、その反面「ストーリーの、これじゃないジブリアニメ」な感じがどうしてもあるのだと思う。ひたすら思わせぶりなセリフ、シーン、展開が続くのだけれど、結局のところ世界の均衡とかどうでもよくて、人攫いの親玉とアレンの盛り上がらない対決に落ち着いてしまう。宮崎駿だったら、こんなに盛り上げない映画は作らなかったはずだけに残念すぎる。


ゲド戦記』の一番良いところは、やっぱりビジュアルにある。このビジュアルを、新人監督の宮崎吾郎がひとりで作れたとは思えないので、宮崎駿が書きためたスケッチなり、スタッフの助力があったのではと思う。『ゲド戦記』のビジュアルは、ナウシカラピュタ以来、ようやくジブリが出してきた本格ファンタジーとして、本当によくできている。ストーリーなんて、あってないようなものなんだから、ゲドが素晴らしいビジュアルの世界を旅するロードムービー的な内容でいいじゃないかと。


宮崎吾郎監督作品として、やっぱり父親宮崎駿との関係を『ゲド戦記』でも観てしまう。アレンにとって父親的なものが、刺し殺した父王とゲドという二人いるのは、「家庭人の宮崎駿」と「ジブリ宮崎駿」というふうに人格を二つに分けたから、そしてクモは鈴木プロデューサー……というような観かたはいくらでもできる。まあ、でも、そんな意図も余裕なかっただろうなぁと。初監督作品として、アニメ映画の経験もなかったのに、ここまで作り上げることができたのは偉いと思う。


映画として、演出がとにかくもっさりしているということと、テルーの足が遅いということは、テンポや疾走感を重視するジブリにあるまじき欠点だ。。ジブリの映画なのに、テルーやアレンの駆け足が遅いというのは、『ゲド戦記』全体の停滞を代表している。あと、この映画は『シュナの旅』に着想を得ているのに、『ゲド戦記』の原作を読んでいないとハードルが高いというのも、ちょっと問題だと思う。ジブリは原作つきの映画であっても、原作を読まなくても良いように、大胆なストーリーを作ってきたのに。


改めて鑑賞して思ったのは、「テルーとクモが対立する因縁がなく、テルーが竜になる必然性がない」ということ、「クモは世界の均衡が崩れたことの原因ではない」ということと、「世界の均衡が崩れたことと、アレンの父王殺しは関係がない」の三点。主人公はアレンなのに、この映画の対立はゲドとクモの二人にあって、しかもアレンを活躍させるためにゲドが活躍できない、という明確な欠点がある。ラストの戦いなんか、ゲドが頑張ればクモなんて瞬殺じゃないの? と思ってしまうし、なんで見守り役に徹しているのだろう。


僕が思うに、『ゲド戦記』は鈴木プロデューサーの豪腕で、三部作ということにすれば良かったと思う。そうすれば、このストーリーで訳の分からないところも、2部3部で明らかになる、みたいな逃げが打てたのに。