『ロッキー』

スカパーで鑑賞。



【ストーリー】
今更説明する必要があるのか?
負け犬のボクサー、ロッキー・バルボアが、ひょんなところからチャンピオンのアポロ・グリードと戦い、生きる意味を得る。


【見所】
やっぱり、オープニングやトレーニング場面で、テーマソングが流れると心が燃えてしまう。
ビル・コンティ最高の仕事。
というか、いろんな人の最高の仕事が詰まっている。
あらゆる意味でマスターピースな映画だよねぇ。


【感想】
『ロッキー』なんて何回も観たよ! 
でも、本当に?と、問われると、口籠ってしまう。


そんなわけで、良い機会なので『ロッキー』を鑑賞。改めて見直してみると興味深い部分や、完結編になる『ロッキー・ザ・ファイナル』に繋がる演出が所々あって面白い。映画表現的に、『ロッキー』がはじめてじゃないかと思える演出があるし、なによりも『ロッキー』って本当に観るだけでテンションが上がる。負け犬が、負け犬的人生から脱出するという普遍的な物語を、愚直に貫いた映画。この映画は、なにもかもが「愚直」に貫かれていて、ついにはマーティン・スコセッシの『タクシー・ドライバー』を抑えてアカデミー賞の作品賞に輝いた。


映画史的には、アメリカン・ニューシネマの終焉をもたらした作品であり、80年代の筋肉バカアクションのはじまりとなる作品だと思う。この後者の位置付けと、その後の続編(特に4と5)でロッキー自体の価値も色褪せてしまったために、軽く見られがちな映画になってしまったものの、最近はかなり再評価が進んだと思う。特に、ロッキーの文化的な側面。男なら、やっぱり一度はロッキーになって、生卵をがぶ飲みして、フィラデルフィア美術館の階段を駆け上りたいよね。『ロッキー・ザ・ファイナル』のエンドロールで、美術館前の階段を駆け上る人たちの映像を観て、その気持ちがさらに強くなった。


僕の『ロッキー』は、テレビの吹き替え版のイメージばかりで、しかも最初から最後まで真剣に観たのは今回がはじめてかもしれない。正直、舐めている部分もあったし、食傷気味な感じもあった。『ロッキー』のテーマは心が熱くなるけれども、さすがに聞き飽きた。そして、改めて『ロッキー』を観て、果たして面白いのだろうかという疑問。そういうところからのスタートラインで鑑賞したことが良かったのだと思う。さらに、最近は昔の映画の楽しみかたが分かってきたという部分もある。


今回、改めて見直してみると、脚本家スタローンの確かな仕事が光っている映画だと思った。これは確かに、映画会社が大スターを使って映画化しようとしたという話も頷ける。ロッキーのボーっとした感じや、根の純朴さ、上手くいかないし感情を露わにしても、絆を大切にするところとか、とにかくロッキーのキャラクターが素晴らしい。主演候補にあがっていた、アル・パチーノとかでは、鋭すぎてロッキーの愚直さを表現できなかったと思う。


また、ロートルで、ロッカーの鍵を開けるのにも苦労するシーンとか、フィラデルフィア美術館の階段も、最初は駆け上がるのにも苦労しているところとか、ダメダメなところが光る。オープニングのボクシングの試合からして、なんか変なファイティングポーズで殴り合ってるし。ロッキーのボクシング技術については、まあ、これはそういうものだと割り切っていいと思う。それが主眼ではないし、絶対ありえないとも言い切れないだろうし、続編を考えない1作目としては、あれでもOKでは?


フィラデルフィアの寒々しい街の景色が、ベトナム戦争で疲弊したアメリカ(=ロッキー)という図式にも繋がる。完全な「喪女」として描かれているエイドリアンや、ダメ兄貴のポーリーは「負け犬」の代表として記憶されているけれども、ジムの経営者であるミッキーも、かなり情けない役柄で登場している。ロッキーを見限って、幸運で世界戦に挑戦すると知って手のひらを返すという、なんとも微妙な役回り。今ではミッキーは人格者的なイメージがあるけれど、本作だけではなかなか感情移入できないキャラだと思う。


そういうダメダメな面々が、完全無欠の「破壊の帝王」アポロに一矢報いようとする図式が熱い。アポロはロッキーを完全に舐めているという描写が良かった。構図的にはロッキーが噛ませ犬なんだけれど、ストーリー的にはアポロが噛ませ犬になっているという逆転がそこにはある。やっぱり、試合を観ていたらどうしてもロッキーを応援してしまう。


僕が『ロッキー』を見ていて「もしかして、『ロッキー』が最初?」思ったのは、「テレビを観て、ヒーローの活躍に盛り上がる酒場」という描写を最初に映画で描いたのは『ロッキー』じゃないかということ。今では定番の描写だけれど、時代的に考えて、ロッキーが最初というのはありえることだと思う。


また、改めて鑑賞して気付いたのは、アポロ・クリードが派手な格好で登場して、ロッキーを指差して「お前がほしい!」と言うのは、第一次世界大戦中の有名な新兵募集ポスターの真似をしているということ。これって、吹き替えではなんであんなことを言っているのだろうと思ったけれども、建国200年記念試合の愛国的なパフォーマンスの一環だったのか。また、ジョー・フレージャーがゲストで登場するところは、『ロッキー・ザ・ファイナル』でマイク・タイソンカメオ出演と同じだよね。



ストーリーについては、ロッキーがアポロと戦うのは、負け犬でないことを証明するためだということ。これも、ラストの「エイドリアーン」のイメージが強烈だったから勘違いしていたけれども、エイドリアンの愛は試合前にはすでに手に入れているんだよね。うだつの上がらないボクサーとして、人生を意味あるものにしたいという欲求があるからこそ、観客も素直に感動したのだと思う。