『「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》』



私は日本のメディアとかで使われている「ものづくり」という言葉があまり好きではなく、それってスタンダードにもレジェンドにもなれない、徒花的で自己憐憫的な言葉だな〜という感じがしていたので、この本を最初見たときは、よくある職人賛歌の本かと思っていたら、真逆の内容だったことにビックリ。


この本は、現代の産業を支える「標準」や「規格」といった概念がどこから生まれ、どう発展し、世界に受け入れられたのか……を概説している本。「標準」や「規格」というと、私たちが接する「ものづくり」という言葉から感じる、下町の町工場の職人がオンリーワンのものを作る……みたいなものとは正反対の、味も素っ気もないもののように思えるけれども、その重要性と、この概念が受け入れられ世界を制覇するまでの悪戦苦闘の道のり、そして課題が語られている。


この「標準」や「規格」といった概念は、他の機械技術と同様に、戦争の道具である大砲や銃火気の扱いから生まれた。かつては銃や大砲は設計図もなく、職人たちが自分の腕と経験を頼りに部品を作り、それをヤスリがけして、一つ一つ組み合わせて作られていた。当然、そこに互換性はなく、部品の一つがダメになると、全部がダメになるという仕様だった。これでは、戦争中に迅速な対応ができないというわけで、フランスで互換性を持つ大砲や銃火気の生産が試みられることになる。


それを発展させたのが、資源はあっても人が少なかった19世紀のアメリカで、20世紀の特色となる大量生産へと繋がることになる。でも、現在では当然のことと考えられている「互換性」や「標準」や「規格」は、機械生産の発展なくしては成り立たないものであり、しかもイギリスやフランスでは職人の根強い反発によってアメリカに遅れをとってしまう、というのは面白かった。職人気質が最新設備の導入を妨げるというのは、古今東西で良くあることみたいで。


世紀の移り目になると「互換性」の考え方は、兵器からミシンや自転車に転用され、さらにはフォード社の流れ作業へと進化していく。また、「標準」や「規格」についての考えも、度量衡の統一からはじまって、ネジなどの部品の標準化、材料の標準化、さらには作業の標準化や運用の標準化(操作マニュアルとか)、運送方法の標準化(コンテナの導入)などが図られる。これらの標準化によって生産効率がどんどん上がったことの背景にも、第一次世界大戦第二次世界大戦といった大戦争があった。


日本は、この標準化を第二次世界大戦中は確立することができず、ようやく朝鮮戦争によってアメリカ軍の要望に応えることで、そのノウハウを蓄積することができた。それまでは飛行機の生産などでもヤスリがけをしないと使えないレベルだったというから、彼我の差は本当に大きかったのだと思う。というか、やはり生産力の絶え間ない効率化というのは、アメリカのような「資源はあるけれど人は少ない」ところでしか生まれ得ない発想だと思う。資源がなければ、日本のように一品一品を綺麗に仕上げることを重視するだろうから。どちらも一長一短あるけれども、現代の戦争ではそれが勝敗を分けた。


現在、ビジネスが世界規模になって、標準や規格を巡る攻防はさらに激しくなっている。こういう世界統一の標準や規格ができて、これまで職人の感覚頼りだった複雑な作業が、機械に代替できるようになると、短期的には失業問題や貧富の差が広がるだろうけれども、長期的には人類文明の発展に繋がる。そこまで話を拡げなくても、マイクロソフトやアップルのように、規格や標準を押さえることができれば、ビジネスでは一人勝ちすることができる……そう言われて久しいけれども、この考え方って日本では無視されがちだよね〜と思った。


あと、個人的にはギルブレス夫妻による、レンガ積みの労働の研究が面白かった。ありとあらゆるものが分析され、人間もまた歯車の一つとして効率化されていく……というのは、私の感覚にある「ものづくり」と対極にある生産の姿だなぁと。