『プリンセス・トヨトミ』

テレビで鑑賞。



【ストーリー】
会計検査院の三人が、大阪に隠された陰謀を暴く。
第一幕:オープニング〜ドロップキックまで
第二幕:OJO再訪問〜鳥居と茶子が大阪城に気付くまで
第三幕:真田と松平の会談〜ラストまで
荒唐無稽な話は許せる。でも、デタラメな話は許せない。


【見所】
途中までは荒唐無稽なサスペンスとして楽しめたけれども、途中からは荒唐無稽なデタラメ話に。これ、ジェンダーとかのデリケートな問題をひたすらバカにしているよね?


【感想】
リアリティをここまで無視していいのか、という評判を聞いていたけれど、まさにその通りの物語だった。原作を書いた万城目学という人は荒唐無稽な小説の名手だけれど、それをそのまま映画化したらこうなっちゃうよね、という見本のようなものだった。たぶん、小説では語られていたり、それなりの整合性のある話も、映像化するとダメになることって普通にあると思う。


一番の問題は、大阪国の規模が大きすぎるということ。これ、大阪の都市機能が停止するほどの規模なら、タクシー会社やホテルとかから鳥居が茶子と一緒にいる情報が真田に入るんじゃないの?


大阪国の人間でも一部しか茶子が王女であることを知らないのに、どうやって王女を守るつもりなのか。蜂須賀組に茶子が殴り込んでいたら、真田さん守れてないし。そもそも、茶子と蜂須賀の息子の関係が険悪なのは、周囲も分かっていたはずだから、大阪国の理念からして蜂須賀組は叩きのめされているのでは?


国からの補助金5億円がなくなると大阪国が維持できない、という話になっているけれど、額が一桁少なくないだろうか。大阪の都市機能が停止するほどの国民を抱えているのなら、5億円くらいはすぐに集められるような気がするけれども。そもそも大阪国を名乗るなら、国民から税金を徴収しているんじゃないの?


会計検査院が正式に条約まで交わした国家の存在を、どうして否定できるのかの理屈が分からない。そもそも、国からの補助金が出ていたとのことだけれど、国から国へ金が流れるときは「補助金」ではなくて「資金援助」というかたちになるのでは?そして、外務省がその窓口になっているのでは?会計検査院がどうこうできる問題なの?


府庁を取り囲んだ人たちは王女が会計検査院に拉致された、というから集まったはずなのに、いつのまにか国の存続の話になって、王女の話はどうでもよくなってしまっているけれど、それでいいの?


「大阪国の男子は一生に二度しかあの道を通らない」と言ってたけれど、じゃあ最初のOJOの職員が全員消えた件はなんだったの?漆原教授は大阪国民にしとかないとダメじゃないの?


とにかくデタラメすぎる。


でも、映画としては荒唐無稽なサスペンス展開が続く中盤まで(大阪国のネタバレをするまで)は面白かった。なんだかんだ言ってテンポも良かったし、会計検査院として仕事をしているところは雰囲気が出ていて良かった。キャラクターも、演じている役者もおおむね良いと思う。


ただ、やはりデタラメな話を着地させるつもりのないストーリーは噴飯ものでしかない。物語上のデタラメなところ以外にも、そもそもジェンダーに対する浅薄な見方がヤバいと思う。


この物語は、明確に男尊女卑の思想が貫かれていて、男は戦場に出て女は銃後を守る、とか今時信じられないセリフが出てくるのも噴飯ものだった。もっと唖然としたのは、セクシャルマイノリティに対する視線の冷たさだ。


父から男子に豊臣家の人間を守る役目が継承されるという根幹の部分と、真田の息子がトランスジェンダーであることの関係に明快な回答が用意されていない。これ、真田の息子は大阪国民としては「できそこない」と言っているのも同然だし、ちょっと考えると、男子が生まれなかった家系は大阪国民でなくなるってことだよね?


そんなのでいいの?なんか、茶子と仲良く通学するラストでめでたしめでたし感を出しているけれど、笑ってる場合じゃないだろ、と思う。そもそも、真田の息子がトランスジェンダーっぽくない。ただ単に面白いから女装させてみたという以上の意味が見出せない。要するに映画ではオカマをバカにしたいだけにしか見えなかった。


CGがショボいのもダメなポイント。とにかく、大阪にとっては何のメリットもない映画だったと思う。大阪国民はこの映画を見て、映画のクライマックスシーンのように東宝本社を取り囲むべきだ。