思考機械と踊る子供

小説を書くというのは、「思考機械」の部分と「踊る子供」の部分が必要だと思うんだよね。この二つを両立させてこそ「お話」が作れる。小説が書けないというのは、二つの内のどちらか一つが欠けているからだ。だから、欠けているものを埋めると、誰でも小説が書けるというわけだ。どうやって埋めるのかというと、「思考機械」のほうはノンフィクションを「踊る子供」のほうは小説か漫画を読めばいいわけで。文章力は書き続ければ何とかなる。構成力はいくつも小説を完成させれば何とかなる。問題は、「小説を書く」という最初の壁と、「面白い小説を書くには?」という絶え間ない向上心だな。

一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

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