『すすんでダマされる人たち』
「嘘を嘘と見抜けないと(掲示板を使うのは)難しい」とある人は言ったが、今や現代生活を営むのも難しくなってきているようだ。円天、ふりこめ詐欺、マイナスイオン、ダイエット、インチキ宗教、いかさま政治……なにもかも。データと検証がおろそかにされ、声の大きさと感情的な偏りばかりが通用している。
というわけで、こういう本を読んだ。
- 作者: ダミアン・トンプソン,矢沢聖子
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2008/12/11
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 26回
- この商品を含むブログ (11件) を見る
仮説から真実にすり替わるには、幾つかのロジックが必要で、例えば「伝言ゲーム」が一般的だったりする。例えば、「911はアメリカの陰謀ではなかった」という文面が、人々の間を通ることによって「911はアメリカの陰謀だった。なぜなら〜」に変わる。しかも、「なぜなら〜」の部分に、論拠となる言説が加わるから真実性も帯びる。しかし、僕らは普通に生活していて目にする情報以上のことを能動的に調べようとはしないから、「●●という本にそう書かれている」と言われたとき、「そうなのか〜」とは思っても「じゃあそれを読んでみよう」とはなかなか思わないので、真偽を確認することもなく真偽を判断してしまう。さらに、それで利益を得ようという人間が意図的に嘘をばらまいたりもする。
こういう検証というのは、国家や(もっと中立性の高い)ジャーナリズムや調査機関が率先してするべきことなのだが、国家は自分の都合のいいことを歪曲する可能性があるし、ジャーナリズムは面白いことを求めて歪曲するからたちが悪い。今のところ何となく「そうだ」と思われていることが、蓋を開けてみれば大違いだったということは沢山あるだろうし、真実を重点に置くことで、虚偽の力を弱めることにも繋がると思うのだが、そういうことに価値を置いている人というのはあまりいない。
でも、ダマされないぞと思っても、僕の認識もすでにダマされているかもしれないし、そうなると哲学的な問題に近くなってくるのかも。とりあえず「本当かな?」というスタンスと、論拠がハッキリしているものと、していないものの違いが分かるようになるのが大事かなと。