「理由」は恐ろしい武器

最近、ちょっと「嫌だな〜」と感じることがあって、その話から。
いわゆる「偏見」とか「差別」とかは、例えば「偏見を持っている人」や「差別している人」にとってみれば、正当な理由があるからこそ、そういう立場にいたり、そういう態度に出たりするのだと思う。ここで重要なのは「正当な理由」というのは、自分の中で正当と思えればということで、客観的な真実や事実、善悪の判断とはまた別のものであるということだ。韓国の人を罵倒するインターネットの住人は、韓国の人を罵倒するに足る「理由」があると思っているからこそ罵倒しているのであって、それは煎じ詰めればイデオロギー的なものではなくて判断力とかメディアリテラシーの問題になってくる。ある理由に裏打ちされた「〜だから○○していい」的なロジックは、それがどんなに正しくても、「ユダヤ人はキリストを殺したから皆殺しにしていい」という考えと地続きになっているということを自覚すべきなのだ。それが他者を指弾するものであれば、なおさら慎重になるべきだと思う。
ある映画サイトで、とんちんかんな批評を書いている映画評論家を笑いものにする文章を管理人が書いた。その映画サイトは結構な人気で、管理人の書いた批評家批判に追随する書き込みが掲示板でも相次いだ。それだけであれば別に「ネットでは良くある事」ですまされることだと思うけれども、その管理人は次に『12人の怒れる男』の紹介とインターネットに蔓延する「偏見」を非難する文章を書いた。僕が嫌だなと思ったのは、インターネットに蔓延する偏見と、映画評論家を大勢で批判するのは、根っこでは繋がっているということに気づいていないということだった。
その映画批評家を批判した人たちの言い分は、「批判と偏見は違う」「プロは批判してもいい」だ。確かに批判と偏見は違うけれども、見る人が個々の事例を見ればそんなに大差があるとは思えない。そしてプロは批判してもいいという態度については、本当に「プロは批判してもいいのか?(もしくは誰がそういう免罪符を与えたのか)」と思う。プロを批判してもいいのは、そのプロに金を払った者か、そのプロと共存関係にある人だけだ。しかるに、その映画批評家の映画批評はネットで公開されていて誰も対価を払っていないし、そもそも(共産主義国家的に)映画批評家が「正しい」映画批評を書く責任がある……わけでもない。
結局のところ、当人たちも考えもなしに暴走していることに気付いていないだけなのだ。今、グーグルでその映画批評家の名前を検索すると、2番目に『最低映画評論家』と出てくる(『最低映画評論家』で検索すれば一番に出てくる)が、それは営業妨害で出るところに出られても仕方ない状況であるし、その映画サイトの管理人が毛嫌いしている偏見(しかも個人に対する偏見。『最低映画評論家』なんてグーグルに出て、誰が彼に仕事を頼もうとするだろうか??)の呼び水となりうる状況でもあるし、掲示板を見れば実際にそうなっているようでもある。これが原因で起こりうることに責任は誰が取るのだろうか? スパイダーマンの格好をした人が取るのか?? そもそもどうやって後始末をつけるのか?? 考えれば考えるほど恐ろしいし危うい。
そういうわけで、僕はその映画サイトの偽善が「嫌だな〜」と思った。久しぶりに反吐が出ると感じた。口ではモラルとか言いながら、実際は理由をつけて個人を叩く(批判も行き過ぎれば、その管理人の嫌いな言葉「バッシング」になるんじゃないの?)ところなんてアメリカにそっくりとか、そこまでは思わないんだけれどね。

  • ニュース

縄文人、イノシシ飼育!? 琵琶湖周辺 京の研究者新説 
縄文時代中期(約5000年前)に、琵琶湖周辺でイノシシが家畜として飼われていた可能性があることが、総合地球環境学研究所京都市北区)の内山純蔵准教授(環境考古学)の研究で9日までに分かった。「縄文時代は狩猟採集」という固定観念に再考を迫るものという。(京都新聞)

縄文時代の後期にはすでに農耕が始まっていたし、人類の発達というのは一足飛びに何かを達成するというのは多々あるので、縄文時代中期にイノシシを飼っていた可能性は十分あると思う。

磁石の力で骨を再生 広島大病院が技術開発 
鉄粉を混ぜて培養した細胞を、強力な磁石で骨の欠損部分に集めて骨や軟骨を再生する治療法を広島大学病院の越智光夫病院長(整形外科)の研究グループが開発した。体外に取り出した人の軟骨での再生実験に成功しており、臨床試験を経て、数年後の実用化を目指している。(産経新聞)

この技術を歯科治療に生かすことができれば……