仮想日本史の設定

1276年に臨安府がモンゴルによって陥落した後、張世傑と陸秀夫が幼い皇帝を連れて広州へと南下するわけだが、ここで進路を東にとって日本に流れ着いたらという設定を考えてみた。日本史的に見れば文永の役から二年後のことで、元寇を名目に西国にまで支配を広げようとしていた鎌倉幕府を敵視する朝廷は、南宋の皇帝と十万とも言われる臣民の亡命を受け入れ、大宰府に臨時政府を置くことを認める。弘安の役の後、皇帝を慕って旧南宋からの人口流入は続き、当時800万人ほどしかなかった日本の総人口が1000万人を超えてしまう。人口の増加によって、臨時政府と朝廷との溝が生まれ、公武合体を果たした鎌倉朝廷と南宋臨時政府が対立する東西朝時代が到来。東西朝は南宋側に寝返った足利家が、足利義満のときに鎌倉朝廷を倒したことで終焉する。足利義満は足利天皇家の初代天皇になり、子の義嗣を南宋の皇帝に就かせることで、至高の座に就く。京都の鹿苑寺武家・公家・仏教界、中華の四つを制したことを意味する大金閣を建て『宋日本二重帝国』が成立する……という設定。仮想歴史は、一部意外は全て事実に即したところで考えると面白い。