『魔法先生ネギま!』

日本を代表するラブコメ漫画家が、形振り構わず本領を発揮したら、こうなりましたというのが『魔法先生ネギま!』だと思うのですが、面白いのだから仕方ない。この作品を読むと現在の漫画産業の成熟度合いが測れるなぁと思います。ストーリーと設定は非常に秀逸で、今更語るまでもないのですが、構造と情報量については研究する余地がかなりあると思う。これを勉強して小説に生かせば、日本を代表するラブコメ小説家も夢ではないのでは? しかし問題がある。『ネギま!』は小説にできるのか??

魔法先生ネギま! (14) (少年マガジンKC)

魔法先生ネギま! (14) (少年マガジンKC)

【構造:ストーリーの要は「邪魔」と「逃げ」】
「邪魔」と「逃げ」これこそが、『魔法先生ネギま!』のストーリーの根幹を成すものだと僕は思います。「邪魔」とは、突然第三者がストーリーに割って入ること。「逃げ」とは、その場から逃げる(走る)ことで場面の転換を図ること。この二つを器用に使い分けて、物語を推し進めていくのが『ネギま!』の基本スタイルだと思います(と、するなら「まほら舞踏会編」は例外的で、これはラブコメ漫画ではなく格闘漫画の方法論で物語が進んだ……のだと思う)。
まず「邪魔」については、その役割として、①キャラクターを大量に出す。②物語のスピードを調整する。③「逃げ」に繋げる。が挙げられる。十四巻通して登場人物に何らかの邪魔が入る描写は、19〜20箇所あるが、「邪魔」とうテクニックを通して、空間とキャラクターを活性化させていると思う。つぎに「逃げ」だが、これは亜子が逃げる場面と夕映が逃げる場面が全てだと思う。『魔法先生ネギま!』では「逃げ」の場面を描くことでストーリーの転換を図ることが多いみたいだ。なぜ逃げる描写を多用するのか、ということについては、動的な要素を入れることでロジックの停止ができるからだと思う。つまり格闘漫画でいう「殴り合えば解る」的な描写が、『ネギま!』でいう「逃げれば解る」的な描写になるのではないかと。
というわけで、この二つを駆使すれば、『ネギま!』形式のラブコメ小説を書くことは不可能ではない。が、もう一つどうしても乗り越えなければならない大問題がある。それが「情報量」をどうするか、ということだ。