『マン・オブ・スティール』

映画館で鑑賞。3D吹き替え版。



【ストーリー】
スーパーマンの誕生と、ゾット将軍との戦いが描かれる。


【見所】
良くも悪くも、
大破壊
これは、もはや観客を試している域に達していると思う。


【感想】
クリストファー・リーブ主演のスーパーマンからカウントすると、これでスーパーマン映画は6作目という計算になるのだけれども、「ヒーロー=英雄」もしくは「ヒーロー=異端者」という図式で語りやすいマーベルの面々や、バットマンなどに比べると、スーパーマンには明確に「スーパーマン=神」の図式があるがために、混迷の現代社会ではスーパーマンを描くのは難しいだろうな〜と思わせる部分が多々ある。この辺りは、一昔前の完全無欠ヒーローが例外なく抱えている問題で、『ローンレンジャー』はそれを克服できなかった作品だったと思う。では、今作『マン・オブ・スティール』はどうか??


製作は『ダークナイト』で一世を風靡したクリストファー・ノーラン。監督はアメコミ映画と言えばこの人! と言えるザック・スナイダー。脚本は、アメコミ映画の脚本を多く手がけたデヴィット・S・ゴイヤー。そして音楽はハンス・ジマーという、鉄壁の布陣を揃えている。この布陣で、スーパーマンの物語を書き直す意味は、「スーパーマン=神」の図式から、「スーパーマン=キリスト」の図式に語り直すことにあったのだと思う。元々のアメコミのスーパーマンにも、そういう要素があったわけだけれども、今作はそれをさらに煮詰めている。それは、「スーパーマン=神」路線でいった『スーパーマン・リターンズ』があんまり成功しなかったことにも遠因があるのかも。


僕はスーパーマンの映画は4作目の『スーパーマンIV/最強の敵』以外は全部見ていて、どれもなかなか味があって良い。ちなみに『スーパーマン・リターンズ』もかなり好きだ。あの1作目と2作目を踏まえたストーリー展開や、レックス・ルーサーの底の抜けたスケールの悪事(ジーン・ハックマンが演じていたレックス・ルーサーも、ドナルド・トランプをモデルにしていたけれども、それにプラスしてブッシュJr元大統領の決めセリフまで使いこなす)や、スーパーマンのビジュアルも良かった。世間での評価は低いみたいだけれども、先日テレビで放送されていたのを改めて観ても「面白いじゃん!」と思った。また、アメコミのほうは『スーパーマン・レッドサン』が断然オススメ。これは、「スーパーマン=神」の図式の究極を描いた作品だと思う。


スーパーマン:レッド・サン (ShoPro Books)

スーパーマン:レッド・サン (ShoPro Books)


で、今作は……というと、
大成功と言えるのでは?


製作のノーランは、『ダークナイト・ライジズ』の監督で忙しかったらしく、監督のザック・スナイダー主導で映画が作られたらしい。ザック・スナイダーといえば、誰もが「作るのは無理だ!」と思っていた『300』で世間を仰天させ、誰もが「作るのは無理だ!」と思っていた『ウォッチメン』でまたもや世間を仰天させ、誰もが「これがお前の本性か!』と思った『エンジェル・ウォーズ』でオタク根性を満天下に晒した男なので、今回の『マン・オブ・スチール』もある程度のラインは確実に超えてくるだろう……とは思ったけれども、これほどとは! と思ったね。少なくとも映画館で観る分には、非常に満足度の高い作品であることは間違いない。


確かに、クラーク・ケントがスーパーマンになるまでがもたつくという問題はあるけれども、時間を上手く前後させることで、観ていて飽きさせないような工夫がなされていると思う。惑星クリプトンのシークエンスから、クラークの幼少期のエピソードに続いたら、さすがにダレると思うのだけれど、そこを青年のクラーク・ケントの回想という形でエピソードを差し挟んでいるので、物語の良いとこ取りになっている。スーパーマンの父親であるジョー・エルをラッセル・クロウが、クラーク・ケントの父親をケビン・コスナーが演じているのだけれども、特にケビン・コスナーの演技はここ最近の出演作では1番の出来だった。カンザスの農家の夫という、『フィールド・オブ・ドリームス』感あふれるキャラクターは、ケビン・コスナーの魅力が最大に発揮されるところだ。


敵役のゾッド将軍も、寄る辺ない流浪の民の悲しみを背負った人物としての顔力が良かった。顔力と言えば、デイリープラネットの編集長を演じたローレンス・フィッシュバーンのダルマ顔も凄かった。顔面だけでゾッド将軍と戦える男だよ。そして、ゾッド将軍、デイリープラネットアメリカ軍のそれぞれの副官をしているお姉ちゃんも魅力的なのよね。ルイス・レーンもちゃんとヒロインとして大活躍していたし、何気にアメリカ軍の将軍の隣にいる副官の女の子とかも可愛い。


でも、やっぱりラストのメトロポリス大破壊のシーンは、ドン引きする人もいるだろうな〜というハードな描写が続く。これ、世界を救ってはいるけれども、何万人規模で死人が出ているよね……と。映像的には本当に圧倒されてしまうけれども、僕は正直、レックス・ルーサーの「新西海岸計画」みたいなアホな陰謀のほうが好きだ。とにかく、これでもかというくらい、容赦なくビルが倒壊しまくるんだよね。これも、「スーパーマン=神」という図式であれば、それでも万人を救うシーンを入れるところだろうけれども、今回はそこまでの万能さはもちろんない。もしかしたら、911リーマンショック以降の、アメリカのリアリティの許容範囲的には、これでも許されるのかも。でも、『ガッチャマン』とかのぬるさを観た後では、ほろ苦さを感じてしまう。


それと、リニューアルしたスーパーマンの第1作目でこれをやってしまって、第2作目以降の破壊のスケールをどうするんだろう? という疑問もある。第2作目は、DCコミックス念願の『スーパーマンvsバットマン』をやるらしいけれども、ゾッド将軍とのあのバトルの後で、誰がどうスーパーマンを窮地に陥れるのだろうか? レックス・ルーサーの再登板があるのか? まさかのジョーカーの再登板とか?? あと、人殺しの問題が「自分の手を汚すか汚さないかで、結果的に敵が死んでしまうのは良しとする」的なところに収斂していく脚本って、そろそろ妥当性を考える時期に来ていると思う。今作でも、ゾッド将軍を自分で殺してしまって慟哭するのだけれども、その前の空中戦で巻き添えになった(なったであろう)人たちのことは割とどうでもいいんだ的な引っかかりを覚えた。


【おまけ】
19時の上映開始の2時間前に映画館に到着したら、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』を観ようという人たちの長蛇の列に遭遇してびびってしまった。凄い! 覇権アニメだったのは承知しているけれども、覇権アニメだからと言って、映画の動員に繋がるかというと難しい部分があったりする。でも、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』は映画化によって、一気に一般層にも届く作品になったのだなぁと実感させられる光景だった。