『主人公は僕だった』

スカパーで鑑賞。



【ストーリー】
真面目な国税局の職員が、ある日突然謎の声に翻弄される。


【見所】
アイデンティティ』や『マルコヴィッチの穴』級のトリッキーさ。


【感想】
あまり期待して観ていなかったけれども、これは面白い作品だった。


主演はウィル・フェレルなので、これはコメディなんだろうな〜と思って観ていたら、かなりロマンティックでトリッキーな映画だった。冒頭部分から女性の声のナレーションが主人公を説明して、最初は「なんだか『アメリ』っぽい」と思っていたけれども、その主人公がナレーションにツッコミを入れるところで一気に「なんだこの映画は?」と引き込まれてしまった。


監督はマーク・フォスター。この人の作品は『007 慰みの報酬』しか観ていなくて、そのときは「なんだか微妙」としか思えない出来にう〜んと腕組みしてしまったけれども、実際はこういうロマコメやドラマ方面の物語作りのほうが得意な監督のような気がする。画面にセンス良く出てくるタイポグラフィみたいなもの(これが主人公の計算癖を表現している)とか、「気の利いたつくり」がとっても小気味よかった。なので、マーク・フォスターの最新作が『ワールド・ウォー・Z』という大作バカゾンビ映画なのはとっても心配(面白そうだけれどね)


キャストがみんな良くて、ウィル・フェレルの朴訥とした感じや、マギー・ギレンホールの斜に構えた感じも気に入ったけれども、何より悲劇専門の小説家カレン・アイフルを演じたエマ・トンプソンがとっても良かった。情緒不安定だけれど、ちゃんとヒューマニズムも併せ持っているという難しいキャラクターを的確に演じていて凄いと思った。


物語は主人公を翻弄する声の正体が、どこかでスランプに悩む小説家の「地の文」であるということが早い段階で明かされて、悲劇をどう回避するかに焦点が絞られていくけれども、マーク・フォスターという監督はなんとなくドラマ的な盛り上げを演出するのが苦手なのか、大きな障害や乗り越えるべき壁のようなものはあまりなく、スマートに着陸したという感じで終わる。これはロマコメ的には効果的だし、この映画では成功していると思うのだけれど、『ワールド・ウォー・Z』みたいな映画では逆効果になるんじゃないかな〜と思うんだよね……


それはともかく、小説を書くのが趣味な人間として、「自分の書いたものがどっかの誰かに繋がっていて、そいつが自分の筋書きで死ぬかもしれない」というアイデアは、デスノートでなくデスノベルやな〜と興味深かった。でも、この映画に出てくる小説家は、自分の書いた小説の行間を読むことができない(ダスティン・ホフマン演じる文学教授と主人公のやりとりは小説家は知らなかった)んだよね〜。この辺りの設定の恣意性のようなものは考えたら粗がどんどん出てきそうだけれども、画面に映っているのがウィル・フェレルだからまあいいか、という気に最終的にはなった。