『紅の豚』

紅の豚 [DVD]

紅の豚 [DVD]

魔法で豚になった飛行艇乗りのポルコは空賊相手の気楽な賞金稼ぎをしていたが、空賊の雇った用心棒カーチスに撃墜されてしまう。そのリベンジのために飛行機を新調したポルコはカーチスとのリベンジマッチに挑むが……という話。もはや説明の必要もないジブリ映画の代表作。


1992年公開だから、もう20年前の作品。この作品が公開されたときにはジブリ宮崎駿ブランドは確立された感があって、作家性と娯楽性を兼ね揃えた映画として一般にも認知されていたと思う。ちなみにディズニーの『ライオンキング』が1994年で、こちらも大ヒットしたけれど、この時点でディズニーのアニメ映画の作品力は斜陽になっていて、ピクサーが登場するまで長い低迷を味わうことになる。というわけで、この時期がアニメ業界における「ディズニーの没落」と「ジブリの台頭」のエポックになっている。


この物語を最初見たときは、何だか変な物語だなぁと思ったけれども、それはたぶん主人公のポルコが巧妙に「成長」しないキャラに描かれているからだと思う。本当はポルコも成長しているのだけれど、そこはポルコというキャラクターの特性、豚であったり、とにかくカッコいいということでカモフラージュされているのだ。この物語はポルコの魂の再生の物語であり、彼の内面は一度破壊されて復活する紅い飛行艇に仮託されている。


ストーリー的には「行きて帰る」ことでポルコは人間に戻る力を得て、「祭り」を経て自らの魂を再生(人間に戻る)する。「行きて帰る」というのは、もちろんミラノ行きのことで、これによってポルコは復活した飛行艇と、フィオを手に入れる。「紅の豚」の面白いところは、ポルコの周辺が物語が進むほどに賑やかになるということ。これにはたぶん「祭り」の概念があるからだと思う。


なんで最後にポルコとカーチスの一騎打ちが祭りになるのかというと、おそらく宮崎駿は「魂を再生するためには祭りが必要」という神話的な物語の規則に忠実だったからだと思う。アマテラスを天の岩戸から出すときに宴会を開いたように、ポルコの豚として閉ざされた心を解放するためには祭りの舞台が不可欠と考えたのだろう。で、それはたぶん正解で、物語に強い満足感を与えている。


この物語の最大のネックは、「行きて帰る」前のポルコが、思ったほどポンコツには描かれていないというところだ。飛行艇ポンコツなように、ポルコにも(豚以外の)ポンコツな部分があってこそ、そのあとのカーチスに撃墜されてからの復活劇が生きると思うのだが、ポルコは最初から大人の魅力全開なんだよねぇ。たぶん、この頃の宮崎駿は全盛期だったので、「普通にダメなところもある男」の描写ができなかったのかもしれない。そこはもうちょっと、『カサブランカ』のハンフリー・ボガードみたいに清濁併せ持つ面や、渇いたものの見方を描写してもよかったのでは、と思う。


宮崎駿が趣味に走った部分はむちゃくちゃ面白い。特にフィオの「俺は女の子にこんな感じで相手にされたい」感がよく出ていたと思う。飛行機の墓場のシークエンスとかも泣ける。この頃の宮崎駿って、自分が好きなものを観客にも好きと思わせる手腕が本当に素晴らしいんだよねぇ。