資本主義、貧困、格差、競争

年越し派遣村」の記事は、2chまとめサイトである『痛いニュース』とかを観ると、かなり否定的な意見が集まっている。2chの場合は「嘘を嘘と見抜く」ことも「本当を嘘と断じる」ことも「嘘を本当と信じる」ことも可能なので、記事の受け取り方によってどうとでも意見は偏るのは仕方がないことだ。でも、だからといって「年越し派遣村」の存在そのものは否定できないと思う。家と仕事のない人間、生活に困っている人間が、あそこに何百人も集まっているという事実は見逃すべきではない。
日本で個人が属する集団の単位は、「家族」「会社」「地域」「国家」と色々あるが、年越し派遣村にいる人々は「会社」と「地域」と「家族」がないので、もはや国に頼るしかないというのが正直なところなのだろう。昔から「苦しいときの神頼み」という諺があるが、今は「苦しいときの国家頼み」というわけだ。否定的な意見を持っている人たちは、国家に頼るということの厚かましさを批判しているが、所属するべきものがない人間は最低限「日本人」であることを保証してくれるところに流れ着くのだろう。「年越し派遣村」を批判するよりも、重層的なセーフティーネットを構築できなかった社会全体を批判したほうが良いのかもしれない。
結局のところ、個人も国家も方向性が定まらないから、極小が極大を頼るような状況が生まれる。かつて終身雇用制度に守られ、経済成長で国に活気があった時代には機能していたものが、今は全く機能していない。終身雇用制度はないし、国も借金で首が回らない状況だ。こういう状況を把握した上で、生活に困っている人たちをどう助けるかが焦点になるだろう。全国に互助会を作って、支援と情報の交換の場を提供するとか、寄付の制度を拡充して、行政の手が回らない部分に金が行き届くようにするとか、色々と方法はあると思う。
あと、格差問題は世代問題だということをハッキリと言うべきだ。ある一部の人間に富が集まっているのではなくて、ある一部の世代に富が集まっていることこそ問題だと思う。企業は富のある方向に媚びを売るが、そうではない方向には尻尾も振らない。若い世代に富が配分されないので、企業はこの世代を使い捨てにするだろう。企業が作るものを買うだけの金がないからだ。使い捨てにされた世代はさらに貧しくなり、路上に溢れ、こういう金融不安による経済の収縮が起きると国も企業も共倒れてしまう。世の中は競争社会というけれども、何と競争しているのかを誰もが分かっていないのではないだろうか。実は、誰とも競争していないのだが、競争していると煽り立てられているだけだ。短距離走のタイムを競うような競争が長続きするわけもなく、ペースを緩めてでも、誰もが長く走れるような環境を整えることこそ国がなすべきことだと思う。