『墨攻』

原作は言わずと知れた酒見賢一の小説で、映画版は、小説を基にした漫画を題材にしている。春秋戦国時代、燕を攻めようとした趙が、その途上にある梁に軍を進める。その数10万、総大将は名将巷淹中。梁は篭城戦のプロフェッショナル集団である墨家に援軍を求めるが、そこに現れたのはたった一人だけだった……というのが、導入部の簡単な説明。

小説版も漫画版も面白かっただけに、これは外れなしの作品だと思って鑑賞したのだが……

【感想】
正直、微妙。

小説版と漫画版にあった良い部分をかなり削いで、どうでもいい部分に力を入れているのがとても残念。特に春秋戦国時代に一大勢力を築いた墨家とは何か? という説明がないということと、主人公革離がなぜ一人で梁に来たのかという事情の説明がないこと、それに戦術的天才である革離の創意工夫が少しも描かれていないところがまずダメだと思った。

その上で、戦闘シーンのどうでもいいところが冗長だと思った。趙軍の気球作戦の後の、牛将軍の戦死なんかさらっとながせばいいものを、とか、一般市民が一々見苦しいとか。黒人奴隷が逃げ回るシーンなんて、長々と回してどうするんだと思ったり、女騎士はいらないキャラだなぁと思ったり。

基本的に、映画としての繋がりがとても悪い。あっちこっちに視点を移すにしても、もっとスムーズにしないと、観ていて一々躓いてしまう。もっと玄人筋の人間が映画監督をしていれば、こういうことにはならなかったと思うが……

【キャラ批評】
革離……主人公。だけど小説版と漫画版に比べて、たいした働きもしていないし、強さよりも弱さが目立つ。徹底抗戦を主張しながら、殺してはいけないとも説く姿勢に疑問を抱くが、なんといっても監督自身がこのキャラクターを非情に描くことを躊躇ったのが一番の問題点ではないだろうか?

逸悦……こんな映画に女はいらないだろうということを、証明するためだけに出てきたようなキャラクター。正直、登場させない方が映画としては引き締まったものになったと思う。

梁適……小説版では革離を殺す役回りをするも、映画版では革離に信服する役割を担っている。描かれ方は漫画版に近いけれども、最初は疑っていたのがどうして全幅の信頼を寄せるようになったのか、そこのところが描かれていないので、今一キャラクターに説得力が欠ける。

子団……戦争物には絶対不可欠(?)な弓の名手。なんで、若い頃のジャッキー・チェンが出てるんだろ? と思った。それ以上に、ラストでこの人が梁王を射殺さなかったのはなんでなのか。

梁王……極悪非道だけれど死なない。この人が生きているという事実が、映画をとても後味の悪いものにしている。というか、この人を生かす墨者とは何かという問題も。

巷淹中……作中では一番説得力のある人物だが、名将かどうかは疑問。だって、僕だったら10万人で攻め寄せた時点で気球作戦に出るからだ。この人と革離の篭城戦シュミレーションをもっと詳しく描けば、戦争映画として見ごたえのあるものになったかもしれない。