イチローについて

僕らがイチローを見るとき、それは「鈴木一郎」ではなくて「イチロー」として彼を見ているんだと最近気付いた。イチローという一個人、日本人でありながら日本を超越した存在として。彼は「鈴木一郎」から「イチロー」へと名前を変えたときに、すでに日本から飛び出して世界に照準を向けていたのだと思う。僕らがMLBで活躍するイチローを称えるのは、コスモポリタンイチロー」が日本生まれだという、ただそれだけの理由だからだ。イチローは野球の天才で、枠に捕らわれず、外国の巨人たちを相手に回し、自分の足だけで記録を更新し続ける。そういう存在を、日本人は称えつつも、どこか自分とは違うと感じてきたし、イチローもそういう役を演じてきた。
だが、イチローMLBでヒットを打ち続けて、密かに「鈴木一郎」へと戻る機会を伺っていたのではないか。自らが日本人であると、誇りを以って日本人であると言うために、彼はイチローの名を捨てようとした。それが、今回のWBCの参戦に繋がったのだと思う。WBCが行われるとき、誰もが「イチローは参加しないかも」と思ったが、彼は快諾した。そして、誰もが大会の成功を疑っていたときに、一人日本人鈴木一郎として吼え続けた。彼の野球人生の中で鈴木一郎がはじめて意味を持った、その大切な大会だった。
後にそう語られるようになればいいなと思う。