なにがなんだか

え〜っと、「郵政民営化法案」が衆議院を通過したようです。
政党政治はかなり八百長くさい勝負の場なのですが、今回はガチガチにセメントマッチだった模様。金が懸かると、人間は平気で常軌を逸した行動にもでるものです。というわけで、小泉純一郎の悪運ばかりが目立つ投票結果だったのですが、いずれにせよ「族」どもは死滅の道を辿っていくわけで……

  • 分析

まず、「民営化」による一番の懸念は『田舎の郵便局がなくなるのでは?』ということですが、何のために規制や法律があるんだと思う。『田舎の郵便局をみだりに潰してはならない』という法を作れば良いだけの話ではないか。これまでは国庫からの援助で養われてきた田舎の郵便局が、これからは企業努力によって存続させられるわけだ。採算をとらねばならず、なおかつ整理縮小もできない、のならアイデアを生かすしかないのだから。
民営化の最大の目的は、金の流れの不透明感をなくすところにあると思う。つまり「本当の本当のところ」は(極一部が知っていて)誰にもわからないのだ。郵便貯金の莫大な金が、実際に郵便局の金庫の中にあると思うのは、かなり短絡的な見方だろう。自民党内で反対と叫ぶ人間の人相の悪さを見れば、どれだけの甘い汁が郵便局から流れていたのか、想像に難くない。政治屋は「権」と「利」のために動くのである。自民党の議員が「国民」のために働いているとは誰も見ていないにも係わらず、郵政民営化に反対と叫ぶ議員の側に立つ「国民」は、かなり飼い慣らされているんだろうと思う。
五十五年体制の昔から政治は「金」で動くが、小泉政権ができると「金」に匹敵するものが力を持った。それは「票」だ。昔は「票」も「金」で買えたが、今は情報量の豊富さ、特定集団の組織力、気まぐれな浮遊層、そして一政治家の持つ魅力などから「金」で買えない「票」が重要になってきた。国会議員は金がなくてもとりあえず国会議員でいられるが、票のない国会議員はただの人だ。「金」で「票」が買えない時代に入ると、「金」で動く政治はマイナス面ばかりが大きくなる。小泉純一郎は「金」で動かす政治から、「票」で動かす政治へとシフトチェンジさせようとしているのではないだろうか? 公明党との協力関係や、総選挙を武器に駆け引きをするかのような言動を見ると、郵政民営化の先にあるものに考えが及ぶ。
つまり、これからは政治家が国民に選択を強いる場面が出てくるということだ。「金」が強ければ政治家に国民が従えばなあなあで丸く収まっていたが、「票」の力が増すと、政治家は常に国民との距離を考えなければならなくなる。より多くの支持を集めた人間が、票の力を背景に強権を振るい、それは「国民の支持があって」なされたと強弁でき、国民は投票に無限の責任を負わされる。「知らなかった」がもはや通用しなくなる時は近い。郵政民営化によって「金」の政治が死ねば、次に来るのは「票」の政治による憲法改正だと思うからだ。その覚悟がどれだけあるかは解らないけれども、民主政治の本道に戻るという意味では正しいことではないだろうか。

  • 備忘録

北京で、割れた陶磁器の破片で飾り箱やブローチを作っている店があるらしい。中国は文化大革命のときに、陶磁器が「資本主義的」ということで徹底的に割られたらしいから、材料に困ることはないとのこと。写真でちょっと見たけれど、面白いリサイクルだと思った。

  • 備忘録

ジョジョ立ちが再び注目されているらしい。今更感が強いけれど、ちと嬉しかったりする(笑)