休みの日くらい日記を書くか?

あ〜今日はもう5月4日だ!!
日記を更新。

  • 政治について徒然と。

小泉純一郎氏は有権者の半数の支持を得ているだけあって、その行動を(テレビなどからは)容易に推し量ることはできない。靖国神社参拝によって「軍国主義者」のレッテルを貼られたかと思えば、国際会議や外遊での演説で「土下座外交」と罵倒されたり、郵政民営化で「専制君主」と評される一方で、政策は全て「丸投げ」と揶揄される。僕らは小泉純一郎の一挙一動をテレビのコメンテーターを通じて、新聞の社説を通して知るのだが、それは旧態依然とした政治家の姿ではないだろうか? 各社新聞・テレビ・雑誌においてここまで叩かれているにもかかわらず、なおも高い支持率を保っているというのは、おそらくは「宣伝」と「報道」による乖離が大きいからであるように思える。「抵抗勢力と戦う内閣総理大臣小泉純一郎」という宣伝と「旧態依然とした自民党総裁小泉純一郎」という報道が相克している状況下では、なかなか彼の支持層を切り崩すことは難しいだろう。彼の手法により四割の人間が支持しているということの意味を、評論で食べている人間は識る必要がある。

つまり対決姿勢をもって彼に臨むのは失策だったのではないだろうか。僕が読む週刊誌には、右派も左派も小泉純一郎氏への批判で満ちあふれているが(SPAのことですよ)、結局は小泉純一郎氏を以て百年ぶりかの「超然主義」を復活させただけに終わったように思える。つまり半数近くが支持ししている状況で、政権的に安定であり、内外に分かり易い敵がいる状況では、知識人や評論家が何を言おうが意に介する必要はないということである。そのことが彼の「靖国参拝」や「イラク派兵」などに影響を与えているのだろう。田中真紀子辞任によって「何をしても賞賛される宰相」から「何をしても批判される宰相」になったとき、彼は掣肘されるべきものからも解放されたと感じたはずだ。後になって、彼ほど総理大臣として「やりたい放題だった」と評される者はいないであろう。その一因には「支持してくれる層は固く、支持しない層もまた固い」という状況分析があるはずなのだ。

何もかもが裏目に出る人間もいるが、何もかもがプラスに転じる人間もいる。小泉純一郎氏の「強運」は彼と対立している者にとっては驚異以外の何者でもないだろう。イラク自衛隊は一人も死なず、年金未納問題は野党にこそ被害が広がり、田中真紀子自民党を去った。このような人を批判するのは容易ではない。事態がころころと変わり、自らに累が及ぶこともありうるからだ。メディアは是々非々で彼に相対するべきだった。「郵政民営化」を持論とする小泉純一郎氏が五年も政権運営している事実を受け止め、この法案に賛成の論陣を張るべきだったのだ。「批判」とは無為無策な人間にするものであって、困難なことを成そうとする人間にするものではない。有益か有益でないかの判断はこの五年間に何度となくあり、その全てを小泉純一郎氏は切り抜けてきた。詭弁を弄し、パフォーマンスに終始し、中身がなく、モラルが欠落した人物として批判するのは、それは民主主義のルールに敗れた犬の遠吠えでしかない。現在のこの状況は、やがて深刻な禍根を遺すだろう。小泉純一郎氏が退陣して、次の総理大臣に誰がなるかは不明であるが、マスコミはこぞってその人物を賞賛するはずだからだ。反小泉が旗印である彼らならば、あらゆる人間に対立事項を設定して、今までとは違うと宣伝することだろう。その波に乗って、その人物がどういう決断をしようとするかについてまでは、誰も責任を取らないのに。

  • vsパフォの名人

結局の所、マスコミが皮相皮膜を持って小泉純一郎氏を批判するのは、論理的に彼を拒否する理由がみあたらないからであろう。よって論調は論調とも言えない感情的なものに終始する。

毎日新聞社
小泉首相:カレーとゾウ、インドの歓心買おうと躍起

 小泉純一郎首相は29日、インドのカラム大統領と会談した際、「24〜25年前にインドで本場のカレーを食べて、いかにおいしいか印象づけられた」とインドの思い出を語った。大統領は「多分インド人の次にカレーが好きなのは日本人ではないか」と応じ、カレー談議に花を咲かせた。

 インド経済団体との昼食会では「アジアにはインドという日本の友がいる」と発言。極東国際軍事裁判東京裁判)で日本の無罪を主張したパール判事や、1949年に上野動物園にゾウを寄贈したネール首相の話まで持ち出し、日印関係強化に向けインド側の歓心を買おうと躍起だった。【ニューデリー坂口佳代】

週刊誌的に言えば「インドの暑さも凍り付く小泉首相の軽口発言」とでも言いますか(^^;)
しかし、どうなんだろう。リップサービスでも外国の偉い人が「日本の寿司や相撲が大好きデース」と言えば嬉しいし、ねぇ。「インドの歓心を買おうと躍起」の「躍起」というところに悪意を感じる文章で、小泉純一郎氏が嫌いな人は「ああまたパフォだよ」と思うこと百点満点な題名なのですが、まあこれくらい普通でしょう。問題は、こういうものしか書くことがない大新聞であるわけで……

  • 新聞とブログは大差ない

両者とも人が書いているものであるから、質に大差などあるわけがなく、所詮新聞記者といえども凡人であることに変わりない。取材力についてはブログがメディアに太刀打ちするのは難しいであろうが、論については「立場」の差こそあれ質の軽重はない(というか、星の数ほどある「ブログ」という媒体では、時にメディアが躊躇うほどの論が飛び交うので、こちらを読んだ方が面白かったりする)。心ある人間であれば、これからのメディアの行く末を心配するところであるが、アメリカにそういう動きがあるというのは識っていても、日本ではついぞ聴いたことがない。日本は権利権益利権によって成り立つ国であり、それは社会派ぶった新聞であっても同じと言えるだろう。ブログはこれからメディアを散々に食い物として肥え太り、メディアはブログ(と、その先にある物言う大衆)に対する有効な対抗策も打ち出せずに痩せ細る……だけではないだろうか。特に政治的なことに関しては、「大衆」におもねるメディアの、「大衆」に対する考え方の限界が見えて、図体だけ大きくなりすぎた結果なのだろうな〜と感じた。

バロン森がお気に入り。
オカマっぽいのに、ヴィクトリー球団随一の漢。
辞世の句を詠んで「大部分……盗作」は百年残る名言だと思う(笑)

  • 貧乏

いや、マジで貧乏だ。
貯金しよう。貯金。

あれから一週間過ぎて未だにテレビではこの話題だらけですが、報道として着地点が見付からないままスキャンダルを延々と垂れ流している状況に、遺族に対する責任の取り方はJR西日本の解散しかありえない……というかそういうようなメディアの憎悪が伝わってくる。あまりに度を超したその態度は、「加害者」を「被害者」に、「被害者」を「加害者」に錯覚させることもあるように思える。ドラマじゃないんだから、誰に対しても慎重に慎重に、事実だけを伝えればいいのに。感情を手玉にとって世論を誘導しようなんて、新聞記者風情が思うほど、人は単純ではない。

何をしていたかって「三国志X」をしていたんですよ「三国志X」!!
三国志は良いですねぇ。男のロマンです。三国志大戦もしてみたい。

ここでチラッと思ったのですが、三国志マンガって今沢山出ていますよね。たぶん『蒼天航路』がもうすぐ終わるから、その後釜を各出版社狙っているんだと思うのですが……いずれも序盤も序盤。で、思ったのですが「黄布の乱」から「虎牢関の戦い」までが三国志で一番作家性が出てくるところなんでしょうね。後は何にせよ筋が決まっているから話の動かしようがないのですが、「黄布の乱」くらいは各マンガ家やりたい放題です。

でもさ〜、諸葛亮が死んだあとの三国志を誰か描けばいいのに。文鴦とかを主人公にしてさ、あんまり知られていない終盤の三国志を魅力的に描けば、「尻窄み」とかいう評も覆るエポックメイキングな作品になると思うんだけれどね。