社会にマッハパンチ

お好み焼きを食べにいったわけだが、お好み焼きは広島風と大阪風の二つがあって、僕が住んでいる場所は大阪風が主流。そういうわけで、ぐちゃぐちゃにしたものをどろっと鉄板に置いて、じゅうと焼いた。美味しかったけれども、タレとソースを間違えていたので、全体的に消化不良といった感じがした。今日みたいな暑い日は、蕎麦とかがいいのだけれども、友人と行くとどうにも好みに差が出てしまうので、問題だ。
で、色々と仕事の話とかを聞いて、ワーキングプアという問題を改めて感じた。働いても働いても楽にならないって、とっても不幸なことだ。誰もが仕事量と賃金の不均衡さに苦しみ、無職になったときの状態に恐れを抱く。僕の友達は介護をしているのだが、労働に見合うだけの報酬がなく、仕事に過大な責任を負わされているので、一刻も辞める算段をしているようだった。それでも、今ある状態から抜け出るというのは容易ならざることだ。そういうわけで、雇用主の目に見えない圧力は続き、そのひずみが重大事件として現れるという社会にもうなっている。
僕が(みのもんたのように)あまり不祥事を起こした会社を糾弾する気になれないのは、その不祥事が起こるべくして起きたものに他ならないからだ。働いていたときは、できない仕事量を任せられて「なんとかして」といわれるのが日常茶飯事だった。仕事の能力と運に個人差はあっても、話しても無駄だと見切りをつけられてしまうような職場は、つぶれたほうがマシだ。そうはいっても働いている以上は頑張ってしまう。その最果てがどのようなものかは、個人に責任を負わせようとする企業の追い詰められた姿を見れば一目瞭然だ。今はまだ、企業的な問題として丸く収まっている歪が、大きくなればなるほど社会に与える悪影響は強くなるだろう。その先に何があるのか?
まさに下流社会。誰のせいかとは、一概に言いたくないけれども。