飲みに行く。そして努力とかの話。

おととい、正社員になった友人のおごりで飲みに行きました。で、昨日はダウン。友人、というのはスプリゼマンのことです。スプリゼマンは職場の人間関係(というか、システム的なことかな)で悩んでいて、三ヶ月しか経っていないのですがもう辞める気満々です。辞めるなら早く辞めた方がいいよ、と思うのですが、やはりそこは働いている人間のままならなさが絡んでいて、どうにも難しい模様。僕もそうでした。結局は、それで多くの人がボロボロになるまで磨り減らされる。インパール作戦みたいなもんだ。もしくは八甲田山みたいなもの。
僕が四年間の会社員生活で思い知ったのは「頑張っても無駄なことがある」ということです。もちろん「頑張るのは無駄ではないこともある」のですが、やはり運とか人とかキャラクターによるのではないかと。テレビなどを見るとネガティブな意見を頭から否定する人がいますが、こういう「無駄、無理、不条理」の三点は弁えていて損はないかと思えます。愚直に努力する人は、世故に長けた人に成果を搾取されるのが「普通」なのです。努力の美しさは時に「普通」を超えて、人を高みへと押しやるかもしれません。しかし、高みに立つ人間のなんと少ないことか。高みに立てる人間は「世故に長けた人間」か「超努力をする人間」のどちらかです。そのどちらにとっても「努力」は言いやすい言葉です。世故に長けた人間にとって努力する人間は美味しい「エサ」ですし、超努力する人間は「努力」という言葉しか知りません。だから、社会には呪いのような「頑張れ、頑張れ」という言葉が満ちるのです。
結局、努力は自分が求めるものでなければ、幸せには繋がらないのではないでしょうか?